陳餘已敗張耳皆復收趙地
(趙地の)成安君陳余がすでに(趙地の)常山王張耳を破(やぶ)り、皆(みな)趙の地を収(おさ)めてもとに戻(もど)し、
迎趙王於代復為趙王
趙王趙歇を(趙地の)代より迎(むか)え、ふたたび趙王と為した。
趙王陳餘立以為代王
趙王趙歇は(趙地の)成安君陳余を恩(おん)に思い、立てて代王と為すを以ってしたが、
陳餘為趙王弱國初定不之國
(趙地の)成安君陳余は趙王趙歇は国が定まったばかりで弱いと思い、国(代)に行かず、
留傅趙王而使夏說以相國守代
留(とど)まって趙王趙歇に傅(かしず)いた。しこうして、夏説をして相国(官名)を以って代を守(まも)らせた。
漢二年東擊楚使使告趙欲與俱
漢二年、(漢が)東に楚を撃(う)ち、使者をして趙に告げさせ、ともにすることを欲した。
陳餘曰漢殺張耳乃從
趙傅陳余曰く、「漢が張耳を殺せばすなわち従(したが)う」と。
於是漢王求人類張耳者斬之
ここに於いて漢王劉邦は人(ひと)の張耳に似ている者を求めこれを斬(き)り、
持其頭遺陳餘陳餘乃遣兵助漢
その頭を持って趙傅陳余に送った。趙傅陳余はそこで兵を遣(つか)わし漢を助けた。
漢之敗於彭城西陳餘亦復覺張耳不死即背漢
漢の(楚の)彭城西に於いて負(ま)けたとき、趙傅陳余もまた張耳が死んでいないと気がつき、即(すなわ)ち漢に背(そむ)いた。
漢三年韓信已定魏地
漢三年、漢将韓信がすでに魏の地を平定し、
遣張耳與韓信擊破趙井陘斬陳餘泜水上
張耳を遣(つか)わし漢将韓信とともに趙の井陘を撃(う)ち破(やぶ)らせ、趙傅陳余を泜水のほとりで斬(き)った。
追殺趙王歇襄國漢立張耳為趙王
追って趙王趙歇を襄国(旧名信都 趙の都)で殺した。漢は張耳を立てて趙王と為した。
漢五年張耳薨謚為景王
漢五年、趙王張耳が亡くなり、おくり名を趙景王と為した。
子敖嗣立為趙王高祖長女魯元公主為趙王敖后
(趙景王張耳の)子の張敖が継(つ)いで立って趙王に為った。漢高祖劉邦の長女の魯元公主が趙王張敖の后(きさき)に為った。
(趙地の)成安君陳余がすでに(趙地の)常山王張耳を破(やぶ)り、皆(みな)趙の地を収(おさ)めてもとに戻(もど)し、
迎趙王於代復為趙王
趙王趙歇を(趙地の)代より迎(むか)え、ふたたび趙王と為した。
趙王陳餘立以為代王
趙王趙歇は(趙地の)成安君陳余を恩(おん)に思い、立てて代王と為すを以ってしたが、
陳餘為趙王弱國初定不之國
(趙地の)成安君陳余は趙王趙歇は国が定まったばかりで弱いと思い、国(代)に行かず、
留傅趙王而使夏說以相國守代
留(とど)まって趙王趙歇に傅(かしず)いた。しこうして、夏説をして相国(官名)を以って代を守(まも)らせた。
漢二年東擊楚使使告趙欲與俱
漢二年、(漢が)東に楚を撃(う)ち、使者をして趙に告げさせ、ともにすることを欲した。
陳餘曰漢殺張耳乃從
趙傅陳余曰く、「漢が張耳を殺せばすなわち従(したが)う」と。
於是漢王求人類張耳者斬之
ここに於いて漢王劉邦は人(ひと)の張耳に似ている者を求めこれを斬(き)り、
持其頭遺陳餘陳餘乃遣兵助漢
その頭を持って趙傅陳余に送った。趙傅陳余はそこで兵を遣(つか)わし漢を助けた。
漢之敗於彭城西陳餘亦復覺張耳不死即背漢
漢の(楚の)彭城西に於いて負(ま)けたとき、趙傅陳余もまた張耳が死んでいないと気がつき、即(すなわ)ち漢に背(そむ)いた。
漢三年韓信已定魏地
漢三年、漢将韓信がすでに魏の地を平定し、
遣張耳與韓信擊破趙井陘斬陳餘泜水上
張耳を遣(つか)わし漢将韓信とともに趙の井陘を撃(う)ち破(やぶ)らせ、趙傅陳余を泜水のほとりで斬(き)った。
追殺趙王歇襄國漢立張耳為趙王
追って趙王趙歇を襄国(旧名信都 趙の都)で殺した。漢は張耳を立てて趙王と為した。
漢五年張耳薨謚為景王
漢五年、趙王張耳が亡くなり、おくり名を趙景王と為した。
子敖嗣立為趙王高祖長女魯元公主為趙王敖后
(趙景王張耳の)子の張敖が継(つ)いで立って趙王に為った。漢高祖劉邦の長女の魯元公主が趙王張敖の后(きさき)に為った。