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晁錯為太子家令得幸太子

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晁錯為太子家令得幸太子

晁錯が漢太子家令と為って、漢太子に寵愛を得て、

數從容言吳過可削數上書說孝文帝

たびたび従容(しょうよう)としてほのめかして呉の過(あやま)ちは(地を)削(けず)るべきだと
言った。たびたび上書して漢孝文帝劉恒を説(と)いたが、

文帝不忍罰以此吳日益

漢孝文帝劉恒は寛容(かんよう)で、罰するに忍(しの)ばれず、これを以って呉は日に日に益々(ますます)勝手きままになっていった。

及孝景帝即位錯為御史大夫

漢孝景帝劉啓が即位(そくい)するに及んで、晁錯は漢御史大夫と為り、

說上曰昔高帝初定天下昆弟少

上(漢孝景帝劉啓)に説(と)いて曰く、「昔、高帝(劉邦)が天下を定めたばかりのとき、兄弟は少なく、

諸子弱大封同姓故王孽子悼惠王王齊七十餘城

諸(もろもろ)の子は弱く、大いに同姓を封じ、故(ゆえ)に庶子(しょし)の悼惠王劉肥を王にし、斉の七十余の城邑を統治させ、

庶弟元王王楚四十餘城兄子濞王吳五十餘城

庶弟の元王劉交には楚の四十余の城邑を統治させ、兄(劉仲)の子の劉濞には呉の五十余の城邑を統治させました。

封三庶孽分天下半

三人の妾(めかけ)ばらの子に封じ、天下を半分に分けました。

今吳王前有太子之郄詐稱病不朝

今、呉王劉濞は以前に太子のいざこざが有り、偽(いつわ)って病(やまい)を称して朝しませんでした。

於古法當誅文帝弗忍因賜几杖

古(いにしえ)の法によれば誅(ちゅう)に当たりますが、文帝(劉恒)は忍(しの)ばれず、因(よ)りて肘掛(ひじかけ)杖(つえ)を賜(たまわ)りました。

至厚當改過自新

恩(おん)はきわめて厚(あつ)く、まさに過(あやま)ちを改(あらた)めて自らを新(あら)たにさせましたが、

乃益驕溢即山鑄錢煮海水為鹽

それなのに、ますます驕(おご)りぜいたくをし、すなわち、銭(ぜに)を山(やま)と鋳(い)て、
海水を煮(に)て塩をつくり、

誘天下亡人謀作亂

天下の逃亡者を誘(さそ)い、乱をおこそうと謀(はか)っています。

今削之亦反不削之亦反

今、これを削(けず)ってもまた叛(そむ)き、これを削(けず)らなくともまた叛(そむ)きます。

削之其反亟禍小不削反遲禍大

これを削(けず)れば、その謀反(むほん)は速く、禍(わざわい)は小さく、削(けず)らなければ、謀反(むほん)は遅(おそ)くなり、禍(わざわい)は大きくなります」と。

三年冬楚王朝晁錯因言楚王戊往年為薄太后服

三年の冬、楚王劉戊が朝し、漢御史大夫晁錯は因(よ)りて楚王劉戊が前年、薄太后(文帝の母)の喪(も)に服(ふく)し、

私姦服舍請誅之詔赦罰削東海郡

ひそかに服舎で不正をしたことを言い、これを誅(ちゅう)することを請(こ)うた。詔(みことのり)して赦(ゆる)し、罰(ばつ)として東海郡を削(けず)った。

因削吳之豫章郡會稽郡

因(よ)りて、呉の豫章郡、會稽郡を削(けず)った。

及前二年趙王有罪削其河郡

前二年に及んで、趙王劉遂が罪を有(ゆう)し、その河間郡を削(けず)った。

膠西王卬以賣爵有姦削其六縣

膠西王劉卬が爵位を売るを以って不正が有り、その六つの県を削(けず)った。

漢廷臣方議削吳吳王濞恐削地無已

漢廷の臣がまさに呉を削(けず)ることを議(ぎ)そうとした。呉王劉濞は地を削(けず)られ已(や)むことが無いのを恐れ、

因以此發謀欲舉事

因(よ)りてこれを以って謀(はかりごと)を発し、事を挙(あ)げようと欲した。

念諸侯無足與計謀者聞膠西王勇

諸侯はともに計謀するに足(た)る者が無いことを思い、膠西(斉地)王劉卬が勇ましく、

好氣喜兵諸齊皆憚畏

気を好み、戦いを喜び、諸(もろもろ)の斉(膠西、膠東、濟南、菑川など)は皆(みな)憚(はばか)り畏(おそ)れていると聞き、

於是乃使中大夫應高誂膠西王

ここに於いてすなわち呉中大夫応高をつかわし膠西王劉卬にさそいかけた。

無文書口報曰吳王不肖

文書は無く、口で報告して曰く、「呉王は不肖(ふしょう)で、

有宿夕之憂不敢自外使喻其驩心

前々からの心配が有り、敢(あ)えて自ら外(はず)そうとしませんでしたが、 そのよろこぶ心を知らせてください」と。

王曰何以教之高曰

膠西王劉卬曰く、「何ものを以ってこれに教えるのか?」と。呉中大夫応高曰く、

今者主上興於姦飾於邪臣

「今、主上は不正を興(おこ)し、邪臣に於いてうわべをかざり、

好小善聽讒賊擅變更律令

とるにたらない善を好み、人を罪におとしいれる悪人の言葉を聴(き)き、思うままに律令を変更(へんこう)し、

侵奪諸侯之地徵求滋多

諸侯の地を侵奪し、取立て求めることますます多くなり、

誅罰良善日以益甚

良善を誅(ちゅう)して罰し、日に日に益々(ますます)甚(はなは)だしくなるを以ってしています。

里語有之舐糠及米

里の言葉にこれが有ります、糠(ぬか)を舐(な)めて米に及(およ)ぶ、と。

吳與膠西知名諸侯也

呉と膠西は諸侯に名を知られ、

一時見察恐不得安肆矣

一時、調べられる目にあえば、恐(おそ)らく安(やす)んじてきままにするは得られないことでしょう。

吳王身有內病不能朝請二十餘年

呉王の身には内(うち)に病(やまい)が有り、朝請することができずは二十余年、

嘗患見疑無以自白

嘗(かつ)て疑いの目にあって患(うれ)え、自白(じはく)を以ってすることは無く、

今脅肩累足猶懼不見釋

今、肩(かた)をすくめて足(あし)を重(かさ)ね、猶(なお)釈放(しゃくほう)の目にあわない
ことを懼(おそ)れています。

竊聞大王以爵事有適所聞諸侯削地

ひそかに聞くに、大王は爵事を以って責(せ)めが有り、聞くところは諸侯は地を削(けず)られると。

罪不至此此恐不得削地而已

罪はこれに至らないのに、このようであれば、恐らく地を削ってそれのみでは得られないでしょう」と。

王曰然有之子將柰何

膠西王劉卬曰く、「その通りだ、これが有った。なんじはまさにどうしようというのか?」と。

高曰同惡相助同好相留

呉中大夫応高曰く、「憎(にく)むを同じにし相(あい)助け、好むを同じにし相(あい)留(とど)め、

同情相成同欲相趨同利相死

情を同じくして相(あい)成就し、欲(よく)を同じくして相(あい)走り、利(り)を同じくして相(あい)死するのです。

今吳王自以為與大王同憂

今、呉王自ら、大王とともに憂(うれ)いを同じくすると思い、

願因時循理棄軀以除患害於天下

願わくは好機に因(よ)りて道理にしたがって、身体(からだ)を棄(す)てて患害を天下から除(のぞ)くを以ってすることを。

億亦可乎王瞿然駭曰

おしはかるもまたできるでしょうか」と。膠西王劉卬は瞿然とひどくおどろいて曰く、

寡人何敢如是今主上雖急

「わたしがどうして敢(あ)えてこの如(ごと)くを?今、主上はさしせまっていると雖(いえど)も、

固有死耳安得不戴高曰

固(もと)より死あるのみで、どうして君主として仰(あお)がないことができようか?」と。呉中大夫応高曰く、

御史大夫晁錯熒惑天子

「御史大夫晁錯は天子をまどわせ、

侵奪諸侯蔽忠塞賢朝廷疾怨

諸侯を侵奪し、忠を蔽(おお)い、賢を塞(ふさ)ぎ、朝廷は病(や)んで怨(うら)み、

諸侯皆有倍畔之意人事極矣

諸侯は皆(みな)謀反(むほん)の心が有り、人事(じんじ)は極(きわ)まっています。

彗星出蝗蟲數起此萬世一時

彗星(すいせい)が出現し、飛蝗(ばった)の害がたびたび起(お)こるは、これ万世(ばんせい)に唯(ただ)一つの時で、

而愁勞聖人之所以起也

しこうして聖人の立ち上がるを以ってするところをうれえるのであります。

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