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隋書 新羅伝 始め

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新羅新羅國在高麗東南居漢時樂浪之地或稱斯羅

新羅、新羅国は、高麗(アントン辺り?)の東南に在り、漢の時には楽浪(=韓獩?(ウルサン辺り?))の地に居していた。或いは斯羅と称する。

魏將毌丘儉討高麗破之奔沃沮

魏将軍の毌丘儉が高麗を討ち、これを破り、沃沮(カンヌン辺り?東沃沮はウルチン辺り?)に奔(にげる)した。

其後復歸故國留者遂為新羅焉

その後、復(また)故国(キョンジュ(慶州)辺り?)に帰り、留まった者が遂に新羅をつくったのである。

故其人雜有華夏高麗百濟之屬兼有沃沮不耐韓獩之地

故にその人は雑(いりまじる)で華夏(中国)、高麗、百済の属がいて、沃沮(ヤンヤン辺りからウルチン辺りまで?)、不耐(ヨンドク辺り?)、韓獩之地(ウルサン辺り?)を兼有(あわせ有する)した。

其王本百濟人自海逃入新羅遂王其國

その王は本は百済人(=獩州人? 百(バイ)=獩(ワイ)? 済(サイ)=州(シュウ)?)で、海より新羅に逃げ入り(漢時にキョンジュよりウルサン?に逃げ入る?)、遂にその国を王(統治)した。

傳祚至金真平開皇十四年遣使貢方物

伝祚(天子の位を伝える)して金真平に至り、開皇十四年,使者を遣わして方物を貢いだ。

高祖拜真平為上開府樂浪郡公新羅王

高祖は真平を拝して上開府、楽浪郡公(韓獩郡公?)、新羅王と為した。

其先附庸於百濟後因百濟征高麗高麗人不堪戎役

その先(まえ)は百済に附庸していた。後、百済が高麗を征伐したことに因りて、高麗人は戎役(戦争)に堪えられず、

相率歸之遂致強盛因襲百濟附庸於迦羅國

相(あい)率いて帰り、遂に強盛を致すと、因りて百済を襲ったので、迦羅国(おそらくテグ(大邱)? 迦(チア)=大(テ)? 羅(ルオ→コー)=邱(グ)?)に附庸した。

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