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Channel: 倭人伝を解く
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隋書 流求国伝 始め

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流求國流求國居海島之中當建安郡東水行五日而至

流求国。流求国(おそらく沖縄の那覇市?)は海島の中に居り、建安郡(おそらくフーチョウ(福州)?)の東に当たり、水行(川で行く 那覇港から首里城まで)すること五日にして至る。
(後出で自義安浮海擊之至高華嶼又東行二日至郤鼊嶼又一日便至流求の文が有って、この高華嶼、郤鼊嶼に当たる小島は台湾には見あたらず、沖縄では久米島、渡嘉敷島で説明できそうなので、おそらく流求とは沖縄だと思われます。水行が海行の誤りだとすると、善安(おそらく臨安(杭州)?)から沖縄へは、久米島~那覇間が三日とすると、五日では無理だということがわかりますので、水行は字の通り、川行きとして、那覇港から川(久茂地川)を遡って首里城までいく日程と考えました)

土多山洞其王姓歡斯氏名渴剌兜不知其由來有國代數也

土地には山洞(山の洞窟)が多い。その王の姓は歓斯氏で、名は渴剌兜と。その有国以来よりの代数を知らない。

彼土人呼之為可老羊妻曰多拔荼

彼の土人はこれを呼ぶに可老羊といい、妻は曰く、多拔荼と。

所居曰波羅檀洞塹柵三重環以流水樹棘為籓

居する所は曰く、波羅檀洞と。塹柵(ほりと、さく)は三重で、環(めぐらす)するに、流れる水(川)を以てし、棘(イバラ)を樹(うえる)して藩(かきね)をつくる。

王所居舍其大一十六間雕刻禽獸

王の居舎(すまい)する所は、その大きいものは十六間で、禽獣が彫刻されている。

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