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吳王專并將其兵未度淮

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吳王專并將其兵未度淮

呉王劉濞は、専(もっぱ)らその兵を併(あわ)せ率(ひき)い、未(ま)だ淮(川名)を渡らなかった。

諸賓客皆得為將校尉候司馬獨周丘不得用

諸(もろもろ)の賓客は皆(みな)将軍、校尉、候、司馬に為り、独(ひと)り周丘だけが用いられるを得なかった。

周丘者下邳人亡命吳酤酒無行吳王濞薄之弗任

周丘という者は 下邳の人で、呉に亡命して、酒を売って行いが悪く、呉王劉濞はこれを軽(かろ)んじて任(にん)じなかった。

周丘上謁說王曰臣以無能不得待罪行

周丘は上謁し、呉王劉濞を説(と)いて曰く、「わたしは無能を以って 軍営の中に任ぜられるを得ませんでした。

臣非敢求有所將願得王一漢節必有以報王

わたしは敢(あ)えて率いるところを有することを求めません。王の一つの漢の節(使者の旗)を得ることを願います。必ず王に報(むく)いることが有るでしょう」と。

王乃予之周丘得節夜馳入下邳

呉王劉濞はそこでこれに与(あた)えた。周丘は節(使者の旗)を得て、夜、下邳 に馳(は)せて入った。

下邳時聞吳反皆城守至傳舍召令

下邳はこのとき呉が反したと聞き、皆(みな)城の守りをしていた。伝舎(使者の宿舎)に至ると、県令を召し寄せた。

令入戶使從者以罪斬令

県令が戸に入ると、従者をつかわして罪(つみ)を以って県令を斬らせた。

遂召昆弟所善豪吏告曰吳反兵且至至屠下邳不過食頃

遂(つい)に兄弟が仲良くするところの豪吏を召し寄せて、告げて曰く、「呉の反乱兵は、まさに至らんとするだろう。至れば、下邳を陥落させるは、食事するほどの時間もかからない。

今先下家室必完能者封侯矣

今、先(さき)んじて下(くだ)れば、家室は必ず完全に保(たも)たれ、できた者は侯に封ぜられるだろう」と。

出乃相告下邳皆下周丘一夜得三萬人使人報吳王遂將其兵北略城邑

退出してそこで相(あい)告げて、下邳は皆(みな)下(くだ)った。周丘は一夜で三万人を得た。人をつかわして呉王劉濞に報告させ、遂(つい)にその兵を率(ひき)いて北に城邑を略取した。

比至城陽兵十餘萬破城陽中尉軍

城陽に至るころには、兵は十余万になり、城陽中尉軍を破(やぶ)った。

聞吳王敗走自度無與共成功即引兵歸下邳

呉王劉濞が敗走したことを聞き、自らはかるに功を成して共(とも)に与(くみ)することは無いと思い、すなわち兵を引いて下邳に帰った。

未至疽發背死

未だ至らないうちに、疽が背中にできて死んだ。

二月中吳王兵既破敗走於是天子制詔將軍曰

漢孝景帝三年二月中、呉王劉濞の兵がすでに破(やぶ)れて敗走し、ここに於いて天子は詔(みことのり)を将軍に制(せい)して曰く、

蓋聞為善者天報之以福為非者天報之以殃

「思うに聞く、善者の為には天はこれに福を以って報(むく)い、不正者の為には天はこれにわざわいを以って報(むく)いると。

高皇帝親表功建立諸侯幽王悼惠王絕無後

高皇帝(劉邦)がみずから功徳を表彰(ひょうしょう)して、諸侯を建立(こんりゅう)したが、趙幽王劉友、斉悼恵王劉肥は絶(た)えて後継が無くなった。

孝文皇帝哀憐加惠王幽王子遂悼惠王子卬等

漢孝文帝劉恒はかわいそうに思って恵みを加え、趙幽王劉友の子の劉遂、斉悼恵王劉肥の子の劉卬らを王にした。

令奉其先王宗廟為漢藩國配天地明并日月

その先王の宗廟を奉(たてまつ)らせ、漢の藩国として、恩徳は天地に配られ、天地を照らすは太陽、月に並(なら)んだ。

吳王濞倍反義誘受天下亡命罪人亂天下幣

呉王劉濞が恩にそむき、義に反(はん)し、天下の亡命した罪人を誘(さそ)い受け入れ、天下の貨幣を乱(みだ)し、

稱病不朝二十餘年有司數請濞罪孝文皇帝之欲其改行為善

病を称して朝さずは二十余年、役人がたびたび呉王劉濞の罪を請(こ)い、漢孝文帝劉恒はこれを寛大に処して、その行いを改めて善を為すよう欲した。

今乃與楚王戊趙王遂膠西王卬濟南王辟光

今、すなわち楚王劉戊、趙王劉遂、膠西王劉卬、済南王劉辟光、

菑川王賢膠東王雄渠約從反為逆無道起兵以危宗廟

菑川王劉賢、膠東王劉雄渠と従事(じゅうじ)を約(やく)して反乱し、道理にそむいて無道(むどう)と為って、兵を起こして宗廟を危(あや)うくするを以ってし、

賊殺大臣及漢使者迫劫萬民夭殺無罪

大臣及び漢使者を賊殺し、万民を脅迫(きょうはく)し、罪の無い者を殀殺(ようさつ)し、

燒殘民家掘其丘冢甚為暴虐

民家を焼きはらい、その墳墓を堀り、甚(はなは)だ暴虐を為した。

今卬等又重逆無道燒宗廟鹵御物朕甚痛之

今、膠西王劉卬らもまた道理にそむいて無道(むどう)を重(かさ)ね、宗廟を焼き、御物を掠(かす)め、 朕(ちん)は甚(はなは)だこれを痛(いた)む。

朕素服避正殿將軍其勸士大夫擊反虜

朕(ちん)は、白服を着て正殿を避(さ)け、 将軍はその士大夫に勧(すす)めて、謀反の虜(虜=敵をののしる言葉)を撃(う)てよ。

擊反虜者深入多殺為功斬首捕虜比三百石以上者皆殺之無有所置

謀反の虜(虜=敵をののしる言葉)を撃つのは、深入りして多く殺すのが功と為り、首を斬り虜(とりこ)を捕(と)らえ、三百石以上のたぐいの者は皆(みな)これを殺し、放置する所が有ることなかれ。

敢有議詔及不如詔者皆要斬

敢えて詔(みことのり)を議したり、及び詔(みことのり)の如くしない者が有れば、皆(みな)腰斬刑にする」と。

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