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初吳王之度淮與楚王遂西敗棘壁乘勝前銳甚

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初吳王之度淮與楚王遂西敗棘壁乘勝前銳甚

呉王劉濞が淮を渡ったばかりのとき、楚王と遂(つい)に西に進んで棘壁を敗(やぶ)り、勝ちに乗じて前進して鋭いこと甚(はなは)だであった。

梁孝王恐遣六將軍擊吳又敗梁兩將士卒皆還走梁

梁孝王は恐れ、六将軍を遣(つか)わし呉を撃ち、また梁の二人の将軍を敗(やぶ)られ、士卒は皆(みな)梁に還(かえ)り走った。

梁數使使報條侯求救條侯不許

梁はたびたび使者をつかわし漢太尉條侯周亞夫に報告させ救援を求めさせたが、漢太尉條侯周亞夫は聞き入れなかった。

又使使惡條侯於上上使人告條侯救梁復守便宜不行

また使者をつかわして上(漢孝景帝劉啓)に於いて漢太尉條侯周亞夫をそしらせ、上(漢孝景帝劉啓)は人をつかわし漢太尉條侯周亞夫に告げさせ梁を救援させたが、また便宜(べんぎ)を守って行かなかった。

梁使韓安國及楚死事相弟張羽為將軍乃得頗敗吳兵

梁は韓安国及び、楚で事に死んだ宰相の弟の張羽をつかわし将軍と為し、そこで、頗(すこぶ)る呉兵を敗(やぶ)ることを得た。

吳兵欲西梁城守堅不敢西即走條侯軍會下邑

呉兵は西に進むことを欲したが梁城の守りは堅(かた)く、敢(あ)えて西に進まず、すなわち漢太尉條侯周亞夫軍に走り、下邑に会(かい)した。

欲戰條侯壁不肯戰吳糧絕卒饑數挑戰遂夜奔條侯壁驚東南

戦いを欲し、漢太尉條侯周亞夫は壁で防御して戦いをよしとしなかった。呉の食糧は絶(た)えて兵は飢(う)え、たびたび戦いを挑(いど)んだが、遂(つい)に夜、漢太尉條侯周亞夫の塞壁に奔(はし)り、東南でさわいだ。

條侯使備西北果從西北入吳大敗士卒多饑死乃畔散

漢太尉條侯周亞夫は西北に備(そな)えさせると、果たして西北から入った。呉は大敗し、士卒は多くが飢え死にした。そこで叛(そむ)き散りじりになった。

於是吳王乃與其麾下壯士數千人夜亡去度江走丹徒保東越

ここに於いて呉王劉濞は、すなわちその旗の下の壮士数千人とともに夜に逃げ去った。江を渡り丹徒に走り、東越に護(まも)られた。

東越兵可萬餘人乃使人收聚亡卒

東越兵は一万余人ほどで、そこで人をつかわし逃亡した兵を集め収(おさ)めさせた。

漢使人以利啗東越東越即紿吳王吳王出勞軍即使人鏦殺吳王盛其頭馳傳以聞

漢は人をつかわし、東越を利得で誘(さそ)うを以ってし、東越はそこで呉王劉濞をあざむいた。呉王劉濞が軍をねぎらいに出ると、そこで人をして呉王劉濞をつきさせて殺させた。その頭を入れ物に盛(も)って、伝車を馳(は)せて申し上げるを以ってした。

吳王子子華子駒亡走閩越

呉王劉濞の子の子華(劉華)、子駒(劉駒)は閩越に逃走した。

  
吳王之棄其軍亡也軍遂潰往往稍降太尉梁軍楚王戊軍敗自殺

呉王劉濞のその軍を棄(す)てて逃げるは、軍は遂(つい)に潰(つぶ)れ、往々(おうおう)とおりおりにだんだんと漢太尉條侯周亞夫軍、梁軍に降(くだ)っていった。楚王劉戊軍は敗(やぶ)れ自殺した。

三王之圍齊臨菑也三月不能下

三人の王の斉の臨菑を包囲するは、三ヶ月しても下(くだ)すことができなかった。

漢兵至膠西膠東菑川王各引兵歸

漢兵が至って、膠西王劉卬、膠東王劉雄渠、菑川王劉賢は各々(おのおの)兵を引いて帰った。

膠西王乃袒跣席槁飲水謝太后

膠西王劉卬はそこで肌ぬぎになり裸足(はだし)になって、稿(わら)の上にすわり、水を飲んで、太后に謝(あやま)った。

太子曰漢兵遠臣觀之已罷可襲願收大王餘兵擊之擊之不勝乃逃入海未晚也

膠西王劉卬の太子の劉徳は曰く、「漢兵は遠くから来て、わたしはこれを観るにすでに疲れていて、
撃(う)つべきで、大王の余(あま)った兵を収めてこれを撃つことを願う。これを撃って勝たなければ、すなわち海に入って逃げても未だおそくはありません」と。

王曰吾士卒皆已壞不可發用

膠西王劉卬曰く、「吾(われ)の士卒は皆(みな)すでに壊(こわ)れ、発して用いることはできない」と。

弗聽漢將弓高侯穨當遺王書曰

聴き入れなかった。漢将弓高侯穨当は膠西王劉卬に書状を送り、曰く、

奉詔誅不義降者赦其罪復故不降者滅之王何處須以從事

「詔(みことのり)を奉(たてまつ)り、不義を誅する。降(くだ)った者はその罪を赦(ゆる)し、もとに復(ふく)させる。降(くだ)らない者はこれを滅ぼす。王はどのように処されるか、当然、事に従うを以ってするにちがいない」と。

王肉袒叩頭漢軍壁謁曰

王は肌ぬぎをして頭を漢軍の塞壁に叩(たた)きつけ、申し上げて曰く、

臣卬奉法不謹驚駭百姓乃苦將軍遠道至于窮國敢請菹醢之罪

「わたしは法を奉(たてまつ)って謹(つつし)まず、百姓をひどく驚(おどろ)かせました。すなわち将軍を遠道に苦ませへんぴな国に至らせましたこと、敢(あ)えて塩づけの罪を請(こ)います」と。

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