又經十餘國達於海岸
又、十余国を経由して海岸に達する。(おそらく前原から東南東へ別府辺りの海岸?)
自竹斯國以東皆附庸於倭
竹斯国(唐津湾の浮嶽(別名筑紫富士)の辺りの国?)より以東は、皆(みな)倭に附庸する。
倭王遣小阿輩臺從數百人
倭王は小徳の阿輩臺(オホイ→オミ(臣 上代の姓(カバネ)の一つ)?)を遣わし、数百人を従えて、
設儀仗鳴鼓角來迎
儀仗を設け、鼓角(軍隊が陣中で使う太鼓や角笛)を鳴らして来迎した。
後十日又遣大禮哥多毗
十日後、又、大礼の哥多毗(カタヒ→アタヒ(直(アタイ) 上代の姓(カバネ)の一つ)?)を遣わし、
從二百餘騎郊勞
二百余騎を従えて、郊労(他国から来る客に対する礼式の一つ)した。
又、十余国を経由して海岸に達する。(おそらく前原から東南東へ別府辺りの海岸?)
自竹斯國以東皆附庸於倭
竹斯国(唐津湾の浮嶽(別名筑紫富士)の辺りの国?)より以東は、皆(みな)倭に附庸する。
倭王遣小阿輩臺從數百人
倭王は小徳の阿輩臺(オホイ→オミ(臣 上代の姓(カバネ)の一つ)?)を遣わし、数百人を従えて、
設儀仗鳴鼓角來迎
儀仗を設け、鼓角(軍隊が陣中で使う太鼓や角笛)を鳴らして来迎した。
後十日又遣大禮哥多毗
十日後、又、大礼の哥多毗(カタヒ→アタヒ(直(アタイ) 上代の姓(カバネ)の一つ)?)を遣わし、
從二百餘騎郊勞
二百余騎を従えて、郊労(他国から来る客に対する礼式の一つ)した。