其服飾男子衣裙襦
其服飾男子衣裙襦 その服飾は男子は裙襦を衣(着る)し、(裙(クン)=褲(クン ももひき さるまた)?) 其袖微小履如屨形 その袖は微小で、履(草で編んだはきもの)は屨(皮で作ったはきもの)の形の如くで、 漆其上系之於腳 その上に漆(うるしを塗る)し、脚(くるぶしからつま先まで)にこれを結(むすぶ 系(チー)=結(チー)?)ぶ。 人庶多跣足不得用金銀為飾...
View Article至隋其王始制冠
至隋其王始制冠 隋に至りて、その王は織(染めた糸で模様をおること 制(チー)=織(チー)?)、冠(かんむりをつける)を始め、 以錦彩為之以金銀鏤花為飾 錦(あやおり)の彩(いろどり)を以て織(おる 之(チー)=織(チー)?)を為し、 (冠は)金、銀の鏤刻(彫りきざむ 花(ホワ)=刻(コー)?)を以て、飾りと為す。 婦人束發於後亦衣裙襦裳皆有襈...
View Article有弓矢刀槊弩斧
有弓矢刀槊弩斧 弓、矢、刀、槊(柄の長い矛)、弩、斧(おの)が有り、 漆皮為甲骨為矢鏑 皮(毛皮)に漆(うるしをぬる)して甲(よろい)をつくり、骨で矢鏑(やじり)をつくる。 雖有兵無征戰 兵(兵器)が有ると雖も、征戦は無い。 其王朝會必陳設儀仗奏其國樂戶可十萬 その王は朝会し、必ず儀仗(装飾的な武器)を陳設(陳列)し、その国楽を奏でる。戸数は十万はある。(80戸×10×120=96000戸)
View Article其俗殺人強盜
其俗殺人強盜及奸皆死 その俗は殺人、強盗、及び強姦は皆(みな)死刑、 盜者計贓酬物無財者沒身為奴 盗者は贓(盗んだ品物)を計り、物で酬(むく)いる。無財者は身を没して奴(奴隷)に為る。 自餘輕重或流或杖 自余(そのほか)は、軽重により、或いは流刑、或いは杖刑にする。
View Article每訊究獄訟不承引者
每訊究獄訟不承引者 毎(いつも)、獄訟(うったえ)を訊究(つきつめて取り調べる)し、承引(承知する)しない者は、 以木壓膝或張強弓以弦鋸其項 木を以て膝(ひざ)を圧(おさえつける)したり、或いは強い弓を張って、弦を以てその項(くびすじ)を鋸(ひく)す。 或置小石於沸湯中令所競者探之雲理曲者即手爛...
View Article人頗恬靜
人頗恬靜罕爭訟少盜賊 人は頗る恬静(もの静かでやすらか)で、争訟は罕(まれ)で、盗賊は少ない。 樂有五弦琴笛 楽器は、五弦、琴、笛が有る。 男女多黥臂點面文身沒水捕魚 男女の多くが臂(肩からうで)に黥(いれずみ)し、面( かお)に点(くろぼし)をいれ、身(からだ)に文(もよう)をいれ、水に没(水中にもぐる)し、魚を捕る。
View Article無文字唯刻木結繩
無文字唯刻木結繩 文字は無く、唯(ただ)木を刻んで、縄を結ぶのみ。 敬佛法於百濟求得佛經始有文字 仏法を敬い、百済より求めて仏経を得て、始めて文字を有した。 知卜筮尤信巫覡 卜筮を知り、尤も巫覡(みこ)を信じる。每至正月一日必射戲飲酒 毎(いつも)、正月一日に至ると、必ず射戯、飲酒をする。 其餘節略與華同 その余(そのほかの)の節(祝日)は略(ほぼ)、華(中国)と同じである。
View Article好棋博握槊樗蒲之戲
好棋博握槊樗蒲之戲 棋、博(双六)、樗蒲(ばくち)の戯を好む。 氣候溫暖草木冬青土地膏腴水多陸少 気候は温暖で、草木は冬でも青く、土地は膏腴(よく肥えた土地)で、水(川)が多く、陸(平野)が少ない。 以小環掛鷺鶿項令入水捕魚日得百餘頭 小さい環を鷺鶿(鵜の鳥)の項(えりくび)に掛けて、水(川)に入らせ魚を捕る。一日で、百余頭(匹)を得る。
View Article婦入夫家必先跨犬乃與夫相見
婦入夫家必先跨犬乃與夫相見 婦人は夫の家に入ると、必ず先に犬を跨(また)ぎ(安産祈願?)、乃ち夫と相(あい)見(まみ)える。 婦人不淫妒 婦人は淫妬(みだらでねたむ)ではない。 死者斂以棺郭親賓就尸歌舞妻子兄弟以白布制服 死者は斂(おさめる)するに棺郭を以てし、親賓は尸(しかばね)に就(つ)いて歌舞をし、妻子兄弟は白い布を以て喪服(もふく 制(セイ)=喪(ソウ)?)とする。
View Article貴人三年殯於外
貴人三年殯於外庶人卜日而瘞 貴人は三年外で殯(かりもがり)をする。庶人は日を卜(うらな)って瘞(埋葬する)する。 及葬置尸船上陸地牽之或以小輿 葬儀に及び、尸(しかばね)を船の上に置き、陸地でこれを牽(ひく)する。或いは小さい輿を以てする。 有阿蘇山其石無故火起接天者 阿蘇山が有り、その石が故(ゆえ)無く火が起こり天に接するのは、 俗以為異因行禱祭 俗は異(わざわい)と為すを以て、因りて禱祭を行う。
View Article有如意寶珠
有如意寶珠其色青大如雞卵 如意宝珠(願い事がかなえられる宝珠)が有って、その色は青く、大きいものは鶏の卵の如くで、 夜則有光雲魚眼精也 夜になれば、光を有し、魚眼(竜眼?)の精であると云う。(おそらく蛍石?(加熱したり紫外線に当てると青白く光る 九州の豊栄鉱山で産出))。 新羅百濟皆以倭為大國 新羅、百済は皆(みな)倭を以て大国と為し、 多珍物並敬仰之恆通使往來...
View Article大業三年其王多利思北孤遣使朝貢
大業三年其王多利思北孤遣使朝貢 大業三年(607年)、その王の多利思北孤(テラスヒコ?)は使者を遣わして朝貢した。 使者曰聞海西菩薩天子重興佛法 使者は曰く、「海の西の菩薩天子は仏法を重興(たっとび盛んにする)すると聞き、 故遣朝拜兼沙門數十人來學佛法 故(ゆえ)に朝拝に遣わし、兼(あわせて)、沙門(僧)数十人を遣わし仏法を学びに来させました」と。 其國書曰日出處天子至書日沒處天子無恙...
View Article明年上遣文林郎裴清使於倭國
明年上遣文林郎裴清使於倭國 明くる年、上は文林郎裴清を遣わし倭国に使いさせた。 度百濟行至竹島南望羅國 百済に渡り、行きて竹島(おそらく全州と書けて、チョンジュ? 竹(チュー)=全(チュワン)? 島(テウ)=州(チョウ)?)に至り、南に羅国(=貊国(クワンジュ(光州)?百済伝より 羅(ルオ→ボウ)=貊(バク→ボー)?)を望み、 經都斯麻國乃在大海中 都斯麻国(対馬...
View Article又東至一支國
又東至一支國又至竹斯國 又、東へ(対馬の南端辺りから東南)へ一支(壱岐 音より)国に至り、又、竹斯(筑紫と読めて、唐津湾の辺り?)国に至る。 又東至秦王國其人同於華夏 又、東へ秦王(志摩と書けて、前原辺り? 秦(チン)=志(チー)? 王(ワン)=摩(バ)?)国に至る。その人は華夏(中国)に同じで、 以為夷洲疑不能明也 夷洲(衛...
View Article又經十餘國達於海岸
又經十餘國達於海岸 又、十余国を経由して海岸に達する。(おそらく前原から東南東へ別府辺りの海岸?) 自竹斯國以東皆附庸於倭 竹斯国(唐津湾の浮嶽(別名筑紫富士)の辺りの国?)より以東は、皆(みな)倭に附庸する。 倭王遣小阿輩臺從數百人 倭王は小徳の阿輩臺(オホイ→オミ(臣 上代の姓(カバネ)の一つ)?)を遣わし、数百人を従えて、 設儀仗鳴鼓角來迎...
View Article既至彼都其王與清相見
既至彼都其王與清相見大曰 既に彼の都(邪靡堆)に至り、その王と裴清が相(あい)見(まみ)えた。大いに悦び曰く、 我聞海西有大隋禮義之國故遣朝貢 「我は聞く、海の西に大隋が有り、礼儀の国であると。故(ゆえ)に朝貢を遣わした。 我夷人僻在海隅不聞禮義 我は倭人(夷(イ)=倭(イ)?)で海の隅(すみ)に僻在(かたよった遠いところにいる)し、礼儀を聞(もうしあげる)かずに、 是以稽留境內不即相見...
View Article清答曰皇帝並二儀澤流四海
清答曰皇帝並二儀澤流四海 裴清は答えて曰く、「皇帝の徳は、仁義(慈愛と正義 二(ジ)=仁(ジン)? 儀(ギ)=義(ギ)?)を併(あわせる 並(ヘイ)=併(ヘイ)?)せ、沢(めぐみ)は四海に流れ、 以王慕化故遣行人來此宣諭 王が化(おしえ)を慕うを以て、故(ゆえ)に行人(使者)を遣わし此(ここ)に来て宣諭(のべさとす)するのです」と。 既而引清就館其後清遣人謂其王曰...
View Article隋書 東夷伝あとがき 始め
史臣曰廣穀大川異制人生其間異俗 史臣は曰く、「広い谷(穀(コク)=谷(コク)?)、大きい川は制(かたち)を異にし、人はその間に生まれて、俗を異にし、 嗜欲不同言語不通 嗜欲(欲)は同じではなく、言語は通じない。 聖人因時設教所以達其志而通其俗也 聖人は因りて時に教えを設け、その志(こころざし)を達(とどける)して、その俗を同(おなじ 通(トウ)=同(トウ)?)じにするを以てする所である。
View Article九夷所居與中夏懸隔
九夷所居與中夏懸隔 九夷(多くの異民族)の居する所は、中夏(中華)と懸隔(ひどくかけはなれていること)である。 然天性柔順無暴之風 然るに天性は柔順で、暴(荒々しい)の風(態度)が無い。 雖綿邈山海而易以道御 綿邈(はるかに遠い)の山海と雖も、而して、道(道理)を以て御することは易(たやすい)である。
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