嫁娶以酒肴珠貝為娉
嫁娶以酒肴珠貝為娉 嫁娶(嫁入りと嫁取り)は酒肴(酒とさかな)、珠(真珠)、貝を以て、娉(贈り物)と為す。 或男女相便相匹偶 或いは男女が相(あい)悦(よろこ)べば、便(すなわち)、相(あい)匹偶(つれあい)する。 婦人產乳必食子衣 婦人は産乳(子をうむ)すると、必ず子の衣(おそらく胞衣 羊膜、胎盤など)を食べる。產後以火自炙令汗出五日便平復...
View Article以木槽中暴海水為鹽
以木槽中暴海水為鹽木汁為酢 木槽(きおけ)の中を以って海水を暴(日にかわかす)し、塩をつくる。椪(みかんの一種 木(ボク)=椪(ポン)?)の汁で酢と為す。 釀米麥為酒其味甚薄 米、麦を醸(かも)して酒をつくる。その味は甚だ薄い。 食皆用手偶得異味先進尊者 食べるは皆(みな)手を用いる。偶(たまたま)異味(珍味)を得たときは、先に尊者に進める。
View Article凡有宴會
凡有宴會執酒者必待呼名而後飲 繁(しばしば 凡(ハン)=繁(ハン)?)、宴会を有し、酒を執る者は必ず名を呼ばれるのを待ち、而して後に飲む。 上王酒者亦呼王名 王に酒を上げる者も亦(また)、王の名を呼ぶ。 銜杯共飲頗同突厥 杯を銜(ふくむ)し共に飲むは、頗る突厥と同じである。 歌呼蹋蹄一人唱從皆和音頗哀怨 歌は(呼=也?)、蹋蹄(あしぶみ?)し、一人が唱(うた)うと、従(追いかける...
View Article其死者氣將絕舉至庭
其死者氣將絕舉至庭 その死者の気が将(まさ)に絶えんとすると、挙げて庭に至り、 親賓哭泣相吊 親(みうち)賓(客)は哭泣して相(あい)吊(とむらう)する。 浴其尸以布帛纏之 その屍を浴し、布帛を以てこれを纏(まとう)し 裹以葦草親土而殯上不起墳 裹(つつむ)に葦草(アシ)を以てし、土に填(うずめる 親(チン)=填(チン)?)して、殯(埋葬する)し、上には墳(土を高く盛る)を起こさない。
View Article子為父者數月不食肉
子為父者數月不食肉 子が父に為すのは、数月肉を食べない。 南境風俗少異人有死者邑里共食之 南境の風俗は少し異なり、人の死者が有れば、邑里が共にこれを斎(ものいみ 食(シ)=斎(シ)?)する。
View Article有熊羆豺狼尤多豬雞
有熊羆豺狼尤多豬雞 小豾(小さいヤマネコ おそらくイリオモテヤマネコの類? 熊(ション)=小(ショウ)? 羆(ヒ)=豾(ヒ)?)、豺狼(ヤマイヌの類 おそらく琉球犬の類?)がいて、尤も多いのは猪(イノシシ)、鶏(ニワトリ)で、 無牛羊驢馬 牛、羊、驢馬(ろば)はいない。 厥田良沃 厥(その)田は、良沃で、 先以火燒而引水灌之 先に火を以て焼いて、水を引いてこれに灌(そそぐ)する。
View Article持一插以石為刃
持一插以石為刃長尺餘 一(ある)の插(すき)を持ち、石を以て刃と為し、長さは一尺余りで、 闊數寸而墾之 闊(広い 幅?)は数寸で、しこうしてこれ(田)を墾(たがやす)する。
View Article土宜稻梁沄黍麻豆赤豆胡豆豆等
土宜稻梁沄黍麻豆赤豆胡豆豆等 土地は稲、梁、沄、黍、麻、豆、赤豆、胡豆、豆等に宜(よろ)しくし、 木有楓栝樟松楩楠杉梓竹藤果藥 木は楓、栝、樟、松、楩、楠、杉、梓、竹、藤、果、藥が有り、 同於江表風土氣候與嶺南相類 江表に同じで、風土気候は嶺南と相(あい)類(同類)する。
View Article俗事山海之神祭以酒肴
俗事山海之神祭以酒肴 俗は山海の神に事(つかえる)し、祭るは酒、肴を以てする。 鬥戰殺人便將所殺人祭其神 闘戦は人を殺す。便(すなわち)、所殺(ころされた)人を聚(あつめる 将(シャウ)=聚(シュウ)?)し、その神に祭る。 或依茂樹起小屋或懸髑髏於樹上以箭射之 或いは、茂樹(立派な樹木)に依(よせる)りて小屋を起(建てる)こし、或いは髑髏(されこうべ)を樹木の上に懸け、戦(たたかい...
View Article王之所居壁下多聚髑髏以為佳
王之所居壁下多聚髑髏以為佳 王の居する所の壁の下には多くの髑髏(されこうべ)を聚(集める)し、祈(いのる 佳(チア)=祈(チー)?)を為すを以てする。 人間門戶上必安獸頭骨角 人間(世間)の門戸の上には必ず獣の頭骨や角を安(置く)する。 大業元年海師何蠻等每春秋二時天清風靜 大業元年(605年)、海士(男の漁師...
View Article三年煬帝令羽騎尉硃
三年煬帝令羽騎尉硃入海求訪異俗 三年、煬帝は羽騎尉硃に令して海に入らせ異俗を求訪(探し求める)させた。 何蠻言之遂與蠻俱往因到流求國 何蛮はこれに言い、遂に何蛮とともに往き、因りて流求国に到った。 言不相通掠一人而返 言葉は相(あい)通じず、一人を掠(奪い取る)めて返(かえ)った。 明年帝復令慰撫之流求不從取其布甲而還...
View Article時倭國使來朝
時倭國使來朝見之曰此夷邪久國人所用也 時に倭国の使者が来朝し、これを見て曰く、「此れは、夷邪久国人(屋久島人?)の用いるところである」と。 帝遣武賁郎將陳棱朝請大夫張鎮州率兵自義安浮海擊之 帝は武賁郎將陳棱、朝請大夫張鎮州を遣わし、兵を率いて、義安(=臨安(杭州)? 通説とは異なります)より海に浮かびこれを撃たせた。 至高華嶼又東行二日至郤鼊嶼又一日便至流求 高華嶼(久米島?...
View Article初棱將南方諸國人從軍
初棱將南方諸國人從軍 初め、武賁郎將陳棱は南方諸国人を将(ひきいる)して従軍した。 有昆侖人頗解其語遣人慰諭之 昆侖人(おそらく福州辺りの原住民?)がいて、頗るその語(はなし)を解(わかる)し、 昆侖人を遣わしてこれを慰諭させた。 流求不從拒逆官軍 流求は従わず、官軍を拒逆(こばみ従わない)した。棱擊走之進至其都頻戰皆敗 武賁郎將陳棱はこれを撃走し、進んでその都(波羅檀洞?=首里大都と書けます...
View Article隋書 倭国伝 始め
倭國倭國在百濟新羅東南 倭国、倭国は百済(おそらくチョンジュ(全州)辺り?)、新羅(おそらくキョンジュ(慶州)辺り?)の東南に在り、 水陸三千里於大海之中依山島而居 陸(おそらく対馬、壱岐)に随(よりそう 水(スイ)=随(ズイ)?)して三千里(おそらく釜山から博多(福岡市)まで対馬、壱岐を経由する距離)、大海の中に於いて山島に依りて居する。 魏時譯通中國三十餘國皆自稱王...
View Article其地勢東高西下
其地勢東高西下 その地勢は東が高く(山地)、西に下(低い 平地)がる。 都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也 邪靡堆(おそらく大牟田市? 音より)に於いて都(天子の居城のある地)する。則ち、魏志の謂う所の邪馬台という者である。 古雲去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里...
View Article漢光武時遣使入朝
漢光武時遣使入朝自稱大夫 漢光武時、使者を遣わして入朝させた。(57年)自ら大夫と称した。 安帝時又遣使朝貢謂之倭奴國 安帝時、また使者を遣わして朝貢させた。(107年)これを謂(おもえらく)うは倭奴国と。 桓靈之間其國大亂遞相攻伐歷年無主 桓、霊の間(146年~189年)、その国は大乱し、遞(かわるがわる)相(あい)攻伐し、歴年(何年も)、主(あるじ)が無かった。...
View Article其王有宮室樓觀城柵
其王有宮室樓觀城柵皆持兵守衛 その王は宮室、楼観、城柵を有し皆(みな)兵器を持って守衛する。 為法甚嚴自魏至於齊梁代與中國相通 法をつくるは甚だ厳しい。魏より斉、梁に至り、代々中国と相(あい)通じた。
View Article開皇二十年倭王姓阿每
開皇二十年倭王姓阿每 開皇二十年(600年)、倭王の姓は阿毎(阿(ア)毎(メイ)=アメ=天(大空)?)、 字多利思北孤 字(あざな)は多利思北孤(多(トゥオ)利(リー)思(スー)=テラス=照らす? 北(ホク)狐(フー)=ホコ=彦(男子の尊称)?)、(続けるとアマテラスヒコ?) 號阿輩雞彌遣使詣闕...
View Article使者言倭王以天為兄以日為弟
使者言倭王以天為兄以日為弟 使者は言った、倭王は天を以て兄と為し、日(太陽)を以て弟と為す。 天未明時出聽政跏趺坐 天が未だ明るくならない時に出でて政治を聴き、跏趺坐(あぐらをかいてすわる)し、 日出便停理務雲委我弟 日(太陽)が出でれば便(すなわち)理務を停(止める)し、云(ここに)我(自分の)の弟に委ねる、と。 高祖曰此太無義理於是訓令改之...
View Article無城郭內官有十二等
無城郭內官有十二等 城郭は無い。内官は十二等有り、 一曰大次小次大仁次小仁次大義次小義次大禮次小禮次大智次小智次大信次小信員無定數 一(はじめ)に曰く、大徳、次は小徳、次は大仁、次は小仁、次は大義、次は小義、次は大礼、次は小礼、次は大智、次は小智、次は大信、次は小信、と。員(かず)には定数が無い。 有軍尼一百二十人猶中國牧宰 軍尼が百二十人いて、猶(ちょうど)中国の牧宰(地方長官)のようである。...
View Article