初朱蒙在夫餘時妻懷孕朱蒙逃後生一子字始閭諧
初(以前)、朱蒙が夫余に在していた時、妻が懐孕(みごもる)し、朱蒙が逃げた後に一人の子が生まれた。字(あざな)は始めは閭諧。
及長知朱蒙為國主即與母亡而歸之名之曰閭達委之國事
成長するに及んで、朱蒙が国の主(あるじ)に為ったことを知り、即ち、母と亡(逃げる)してこれに帰した。これを名付けて曰く、閭達と。これに国事を委ねた。
朱蒙死閭達代立閭達死子如慄代立
朱蒙が死に、閭達(三国史記には記述無し)が代わって立った。閭達が死に、子の如慄(琉璃明王? 音より 三国史記では閭達の内容に似る)が代わって立った。
如慄死子莫來代立乃征夫餘夫餘大敗遂統屬焉
如慄が死に、子の莫来(無恤?音より 大武神王)が代わって立った。乃ち夫余を征伐し、夫余は大敗して、遂に統属した。
莫來子孫相傳至裔孫宮生而開目能視國人惡之
莫来の子孫が相伝(つぎつぎと伝える 閔中王(大武神王の弟)慕本王(大武神王の元子))し、裔孫(遠い子孫)の宮(太祖大王 琉璃王の子の古鄒加再思の子)に至り、生まれながらにして目を開け視ることができた。国人はこれを悪(にくむ)した。
初(以前)、朱蒙が夫余に在していた時、妻が懐孕(みごもる)し、朱蒙が逃げた後に一人の子が生まれた。字(あざな)は始めは閭諧。
及長知朱蒙為國主即與母亡而歸之名之曰閭達委之國事
成長するに及んで、朱蒙が国の主(あるじ)に為ったことを知り、即ち、母と亡(逃げる)してこれに帰した。これを名付けて曰く、閭達と。これに国事を委ねた。
朱蒙死閭達代立閭達死子如慄代立
朱蒙が死に、閭達(三国史記には記述無し)が代わって立った。閭達が死に、子の如慄(琉璃明王? 音より 三国史記では閭達の内容に似る)が代わって立った。
如慄死子莫來代立乃征夫餘夫餘大敗遂統屬焉
如慄が死に、子の莫来(無恤?音より 大武神王)が代わって立った。乃ち夫余を征伐し、夫余は大敗して、遂に統属した。
莫來子孫相傳至裔孫宮生而開目能視國人惡之
莫来の子孫が相伝(つぎつぎと伝える 閔中王(大武神王の弟)慕本王(大武神王の元子))し、裔孫(遠い子孫)の宮(太祖大王 琉璃王の子の古鄒加再思の子)に至り、生まれながらにして目を開け視ることができた。国人はこれを悪(にくむ)した。