籍福賀魏其侯因弔曰君侯資性喜善疾惡
籍福は漢丞相魏其侯竇嬰を賀して、 因りて心配して曰く、「君侯は生まれつき善を喜び悪を憎む
方今善人譽君侯故至丞相
まさに今、善人が君侯を誉めて、故に丞相に至りました。
然君侯且疾惡惡人眾亦且毀君侯
然るに君侯がまさに悪を憎まんとすれば、悪人が集まって、またまさに君侯をそしらんとするでしょう。
君侯能兼容則幸久不能今以毀去矣魏其不聽
君侯が容忍(ようにん)を兼(か)ねることができれば、幸は長く、できなければ、今にそしられるを以って去(さ)ることになるでしょう」と。
漢丞相魏其侯竇嬰は聴き入れなかった。
魏其武安俱好儒術推轂趙綰為御史大夫王臧為郎中令
漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡はともに儒術を好み、趙綰を後押しして漢御史大夫と為さしめ、
王臧を郎中令と為さしめた。
迎魯申公欲設明堂令列侯就國除關以禮為服制以興太平
魯申公を迎(むか)え、明堂を設(もう)けることを欲し、列侯に令して
官(関=官?)を除(のそ)かせて国に就(つ)かせ、礼を以って服制(服装のきまり)を
つくり、太平(たいへい)を興(おこ)すを以ってした。
舉適諸竇宗室毋節行者除其屬籍
諸(もろもろ)の竇氏、宗室の節操(せっそう)の無い行いに適(かな)う者を挙(あ)げ、
その属する籍(せき)を除(のぞ)かせた。
時諸外家為列侯列侯多尚公主皆不欲就國以故毀日至竇太后
この時、諸(もろもろ)の外戚家は列侯と為って、列侯の多くが天子の娘をめとりっており、皆(みな)
国に就(つ)くことを欲さず、故(ゆえ)を以ってそしる者が毎日竇太后に至った。
太后好黃老之言而魏其武安趙綰王臧等務隆推儒術
竇太后は黄老の言を好み、しこうして、漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡、漢御史大夫趙綰、漢郎中令王臧らは儒術を推(お)し高めることに務(つと)め、
貶道家言是以竇太后滋不說魏其等
道家の言を貶(おとし)めた。ここに、竇太后を以ってますます漢丞相魏其侯竇嬰らをよろこばなくなっていった。
及建元二年御史大夫趙綰請無奏事東宮
建元二年に及んで、漢御史大夫趙綰は東宮に事を奏上しないことを請(こ)うた。
竇太后大怒乃罷逐趙綰王臧等
竇太后は大いに怒り、そこで漢御史大夫趙綰、漢郎中令王臧を罷免(ひめん)して追い払った。
而免丞相太尉以柏至侯許昌為丞相武彊侯莊青翟為御史大夫
そして漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡を免職させて、柏至侯許昌を以って丞相と為さしめ、武彊侯莊青翟を御史大夫と為さしめた。
魏其武安由此以侯家居
魏其侯竇嬰、武安侯田蚡はこれに因(よ)り、侯を以って家にひきこもった。
籍福は漢丞相魏其侯竇嬰を賀して、 因りて心配して曰く、「君侯は生まれつき善を喜び悪を憎む
方今善人譽君侯故至丞相
まさに今、善人が君侯を誉めて、故に丞相に至りました。
然君侯且疾惡惡人眾亦且毀君侯
然るに君侯がまさに悪を憎まんとすれば、悪人が集まって、またまさに君侯をそしらんとするでしょう。
君侯能兼容則幸久不能今以毀去矣魏其不聽
君侯が容忍(ようにん)を兼(か)ねることができれば、幸は長く、できなければ、今にそしられるを以って去(さ)ることになるでしょう」と。
漢丞相魏其侯竇嬰は聴き入れなかった。
魏其武安俱好儒術推轂趙綰為御史大夫王臧為郎中令
漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡はともに儒術を好み、趙綰を後押しして漢御史大夫と為さしめ、
王臧を郎中令と為さしめた。
迎魯申公欲設明堂令列侯就國除關以禮為服制以興太平
魯申公を迎(むか)え、明堂を設(もう)けることを欲し、列侯に令して
官(関=官?)を除(のそ)かせて国に就(つ)かせ、礼を以って服制(服装のきまり)を
つくり、太平(たいへい)を興(おこ)すを以ってした。
舉適諸竇宗室毋節行者除其屬籍
諸(もろもろ)の竇氏、宗室の節操(せっそう)の無い行いに適(かな)う者を挙(あ)げ、
その属する籍(せき)を除(のぞ)かせた。
時諸外家為列侯列侯多尚公主皆不欲就國以故毀日至竇太后
この時、諸(もろもろ)の外戚家は列侯と為って、列侯の多くが天子の娘をめとりっており、皆(みな)
国に就(つ)くことを欲さず、故(ゆえ)を以ってそしる者が毎日竇太后に至った。
太后好黃老之言而魏其武安趙綰王臧等務隆推儒術
竇太后は黄老の言を好み、しこうして、漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡、漢御史大夫趙綰、漢郎中令王臧らは儒術を推(お)し高めることに務(つと)め、
貶道家言是以竇太后滋不說魏其等
道家の言を貶(おとし)めた。ここに、竇太后を以ってますます漢丞相魏其侯竇嬰らをよろこばなくなっていった。
及建元二年御史大夫趙綰請無奏事東宮
建元二年に及んで、漢御史大夫趙綰は東宮に事を奏上しないことを請(こ)うた。
竇太后大怒乃罷逐趙綰王臧等
竇太后は大いに怒り、そこで漢御史大夫趙綰、漢郎中令王臧を罷免(ひめん)して追い払った。
而免丞相太尉以柏至侯許昌為丞相武彊侯莊青翟為御史大夫
そして漢丞相魏其侯竇嬰、漢太尉武安侯田蚡を免職させて、柏至侯許昌を以って丞相と為さしめ、武彊侯莊青翟を御史大夫と為さしめた。
魏其武安由此以侯家居
魏其侯竇嬰、武安侯田蚡はこれに因(よ)り、侯を以って家にひきこもった。