武安侯雖不任職以王太后故親幸
武安侯田蚡は職を任(まか)せられていないと雖(いえど)も、王太后の故(ゆえ)を以って、親しまれかわいがられた。
數言事多效天下吏士趨勢利者皆去魏其歸武安武安日益
たびたび事を言って効力が多く、天下の役人、士の権勢と利益にはしる者は、皆(みな)魏其侯竇嬰を去(さ)って武安侯田蚡に帰属し、武安侯田蚡は日に日に益々(ますます)勝手きままになっていった。
建元六年竇太后崩丞相昌御史大夫青翟坐喪事不辦免
建元六年、竇太后が崩じ、漢丞相柏至侯許昌、漢御史大夫武彊侯莊青翟は喪事につとめず罪を問われ、免(めん)ぜられた。
以武安侯蚡為丞相以大司農韓安國為御史大夫
武安侯田蚡を以って丞相と為さしめ、大司農韓安国を以って御史大夫と為さしめた。
天下士郡諸侯愈益附武安
天下の士、郡、諸侯は愈々(いよいよ)益々(ますます)武安侯田蚡に附(つ)きしたがった。
武安者貌侵生貴甚
漢丞相武安侯田蚡という者は、容貌が貧弱だったが、生まれつき貴(とうと)ばれること甚(はなは)だであった。
又以為諸侯王多長上初即位富於春秋
また諸侯王は年寄りが多く為るを以って、上(漢孝武帝劉徹)は即位したばかりで年若く、
蚡以肺腑為京師相非痛折節以禮詘之天下不肅
武安侯田蚡は近親者を以って京師(長安)相と為ったので、関節を折って痛めることをきらい、礼を以ってするにこれをしりぞけ、天下はつつしまなくなった。
當是時丞相入奏事坐語移日所言皆聽
ちょうどこの時、漢丞相武安侯田蚡が、事を奏上しに入れば、座って語り一日をすごし、言上するところは皆聴き入れられた。
薦人或起家至二千石權移主上
人を推薦(すいせん)するは或(あ)るものは立身出世して二千石に至り、勢(いきお)いは主上(君主 天子)に移(うつ)った。
上乃曰君除吏已盡未吾亦欲除吏
上(漢孝武帝劉徹)はそこで曰く、「君は役人を任官するはすでに尽(つ)くされたのか、未(ま)だなのか?吾(われ)もまた役人を任官することを欲する」と。
嘗請考工地益宅上怒曰君何不遂取武庫
嘗(かつ)て考工(機械の製作をつかさどる工人)の地を請(こ)うて屋敷をふやそうとし、上(漢孝武帝劉徹)は怒って曰く、「君はどうして武庫を取ることを遂(と)げないのか」と。
是後乃退嘗召客飲坐其兄蓋侯南鄉自坐東鄉
この後すなわち退(しりぞ)けた。嘗(かつ)て客を召し寄せて酒を飲み、その兄の蓋侯王信を南向き(天子の座)に座(すわ)らせ、自らは東向きに座(すわ)って、
以為漢相尊不可以兄故私橈
漢相(田蚡)の年上の人と為すを以って、兄の故(ゆえ)を以ってひそかに撓(たわ)めることはできなかったからである。
武安由此滋驕治宅甲諸第
武安侯田蚡はこれに由(よ)りますます驕(おご)り、諸(もろもろ)の立派な屋敷をととのえて住んだ。
田園極膏腴而市買郡縣器物相屬於道
田園は極(きわ)めて肥沃(ひよく)な土壌で、そして、郡県の器物を買い求め、道に於いてつぎつぎと続いた。
前堂羅鐘鼓立曲旃後房婦女以百數
堂の前に鐘鼓を羅列(られつ)し、曲旃(柄の曲がっている赤い旗)を立て、後房には婦女が百人を以って数えた。
諸侯奉金玉狗馬玩好不可勝數
諸侯は金、玉、狗(いぬ)、馬、玩好を奉(たてまつ)り、すべて数えあげることはできない。
武安侯田蚡は職を任(まか)せられていないと雖(いえど)も、王太后の故(ゆえ)を以って、親しまれかわいがられた。
數言事多效天下吏士趨勢利者皆去魏其歸武安武安日益
たびたび事を言って効力が多く、天下の役人、士の権勢と利益にはしる者は、皆(みな)魏其侯竇嬰を去(さ)って武安侯田蚡に帰属し、武安侯田蚡は日に日に益々(ますます)勝手きままになっていった。
建元六年竇太后崩丞相昌御史大夫青翟坐喪事不辦免
建元六年、竇太后が崩じ、漢丞相柏至侯許昌、漢御史大夫武彊侯莊青翟は喪事につとめず罪を問われ、免(めん)ぜられた。
以武安侯蚡為丞相以大司農韓安國為御史大夫
武安侯田蚡を以って丞相と為さしめ、大司農韓安国を以って御史大夫と為さしめた。
天下士郡諸侯愈益附武安
天下の士、郡、諸侯は愈々(いよいよ)益々(ますます)武安侯田蚡に附(つ)きしたがった。
武安者貌侵生貴甚
漢丞相武安侯田蚡という者は、容貌が貧弱だったが、生まれつき貴(とうと)ばれること甚(はなは)だであった。
又以為諸侯王多長上初即位富於春秋
また諸侯王は年寄りが多く為るを以って、上(漢孝武帝劉徹)は即位したばかりで年若く、
蚡以肺腑為京師相非痛折節以禮詘之天下不肅
武安侯田蚡は近親者を以って京師(長安)相と為ったので、関節を折って痛めることをきらい、礼を以ってするにこれをしりぞけ、天下はつつしまなくなった。
當是時丞相入奏事坐語移日所言皆聽
ちょうどこの時、漢丞相武安侯田蚡が、事を奏上しに入れば、座って語り一日をすごし、言上するところは皆聴き入れられた。
薦人或起家至二千石權移主上
人を推薦(すいせん)するは或(あ)るものは立身出世して二千石に至り、勢(いきお)いは主上(君主 天子)に移(うつ)った。
上乃曰君除吏已盡未吾亦欲除吏
上(漢孝武帝劉徹)はそこで曰く、「君は役人を任官するはすでに尽(つ)くされたのか、未(ま)だなのか?吾(われ)もまた役人を任官することを欲する」と。
嘗請考工地益宅上怒曰君何不遂取武庫
嘗(かつ)て考工(機械の製作をつかさどる工人)の地を請(こ)うて屋敷をふやそうとし、上(漢孝武帝劉徹)は怒って曰く、「君はどうして武庫を取ることを遂(と)げないのか」と。
是後乃退嘗召客飲坐其兄蓋侯南鄉自坐東鄉
この後すなわち退(しりぞ)けた。嘗(かつ)て客を召し寄せて酒を飲み、その兄の蓋侯王信を南向き(天子の座)に座(すわ)らせ、自らは東向きに座(すわ)って、
以為漢相尊不可以兄故私橈
漢相(田蚡)の年上の人と為すを以って、兄の故(ゆえ)を以ってひそかに撓(たわ)めることはできなかったからである。
武安由此滋驕治宅甲諸第
武安侯田蚡はこれに由(よ)りますます驕(おご)り、諸(もろもろ)の立派な屋敷をととのえて住んだ。
田園極膏腴而市買郡縣器物相屬於道
田園は極(きわ)めて肥沃(ひよく)な土壌で、そして、郡県の器物を買い求め、道に於いてつぎつぎと続いた。
前堂羅鐘鼓立曲旃後房婦女以百數
堂の前に鐘鼓を羅列(られつ)し、曲旃(柄の曲がっている赤い旗)を立て、後房には婦女が百人を以って数えた。
諸侯奉金玉狗馬玩好不可勝數
諸侯は金、玉、狗(いぬ)、馬、玩好を奉(たてまつ)り、すべて数えあげることはできない。