勿吉國在高句麗北舊肅慎國也
勿吉国は高句麗の北に在り(おそらくピョンヤン、ウォンサン以北の平安南道辺り一帯? 今夫餘為勿吉所逐(百済伝)より)、旧肅慎の国である。
邑落各自有長不相總一
邑落には各自、長(首長)が有り、総一(まとめて一つにする)を相(かたち)さず。
其人勁悍於東夷最強言語獨異
その人は勁悍(強くて荒々しい)で、東夷に於いて最強である。言語は独異である。
常輕豆莫婁等國諸國亦患之
常に豆莫婁らの国を軽んじ、諸国は亦(また)これを患(うれ)えた。
去洛五千里自和龍北二百餘里有善玉山
洛(おそらくソウル?北史では洛陽)を去ること五千里(一里150m換算で約750辧法
和龍(契丹の西界(北史より)、契丹は失韋の南、勿吉の西北)の北より二百里(一里150m換算で約30辧砲覗蔚婿魁覆そらく雲山?)が有る。
山北行十三日至祁黎山
又(山=又?)北行き十三日で祁黎山(音より吉林山と読めます チョンジュからクワンジュまでが三日(隋書)よりを参考に)に至る。
又北行七日至如洛環水水廣里餘
又、北行き七日で、如洛環水(吉林市の松花江?)、水(川)の広(はば)は一里余り(一里150m換算で約150m余り)。
又北行十五日至太魯水又東北行十八日到其國
又、北行十五日で太魯水(松花江?)に至る。又、東北行十八日で其国(黒竜江と松花江が合流する場所?)に到る。
國有大水闊三里餘名速末水
国には大水が有り、闊(川幅)は三里余り(一里150m換算で約450m余り)、名は速末水(おそらく松花江の下流?)と。
勿吉国は高句麗の北に在り(おそらくピョンヤン、ウォンサン以北の平安南道辺り一帯? 今夫餘為勿吉所逐(百済伝)より)、旧肅慎の国である。
邑落各自有長不相總一
邑落には各自、長(首長)が有り、総一(まとめて一つにする)を相(かたち)さず。
其人勁悍於東夷最強言語獨異
その人は勁悍(強くて荒々しい)で、東夷に於いて最強である。言語は独異である。
常輕豆莫婁等國諸國亦患之
常に豆莫婁らの国を軽んじ、諸国は亦(また)これを患(うれ)えた。
去洛五千里自和龍北二百餘里有善玉山
洛(おそらくソウル?北史では洛陽)を去ること五千里(一里150m換算で約750辧法
和龍(契丹の西界(北史より)、契丹は失韋の南、勿吉の西北)の北より二百里(一里150m換算で約30辧砲覗蔚婿魁覆そらく雲山?)が有る。
山北行十三日至祁黎山
又(山=又?)北行き十三日で祁黎山(音より吉林山と読めます チョンジュからクワンジュまでが三日(隋書)よりを参考に)に至る。
又北行七日至如洛環水水廣里餘
又、北行き七日で、如洛環水(吉林市の松花江?)、水(川)の広(はば)は一里余り(一里150m換算で約150m余り)。
又北行十五日至太魯水又東北行十八日到其國
又、北行十五日で太魯水(松花江?)に至る。又、東北行十八日で其国(黒竜江と松花江が合流する場所?)に到る。
國有大水闊三里餘名速末水
国には大水が有り、闊(川幅)は三里余り(一里150m換算で約450m余り)、名は速末水(おそらく松花江の下流?)と。