契丹國在庫莫奚東異種同類俱竄於松漠之間
契丹国は、庫莫奚の東に在って、異種同類で、松漠の間に俱竄(ともに逃げる)した。
登國中國軍大破之遂逃迸與庫莫奚分背
登国中(386~396)、国軍がこれを大破し、遂に逃迸(逃走)して、庫莫奚と背を分けた。
經數十年稍滋蔓有部落於和龍之北數百里多為寇盜
数十年を経て、稍(次第に)に滋蔓(権勢などがいよいよ強大になること)し、和龍(おそらく北朝鮮寧切辺り)の北数百里(一里150m換算で約30~45辧砲防落を有し、(おそらく北朝鮮雲山の東北の熙川(ヒチョン)辺り?)多く寇盜を為した。
真君以來求朝獻歲貢名馬
真君(440~451)以来、朝献を求め、歳に卑馬(三尺馬の類(ポニー種)? 名(ベイ)=卑(ビ)?)を貢いだ。
契丹国は、庫莫奚の東に在って、異種同類で、松漠の間に俱竄(ともに逃げる)した。
登國中國軍大破之遂逃迸與庫莫奚分背
登国中(386~396)、国軍がこれを大破し、遂に逃迸(逃走)して、庫莫奚と背を分けた。
經數十年稍滋蔓有部落於和龍之北數百里多為寇盜
数十年を経て、稍(次第に)に滋蔓(権勢などがいよいよ強大になること)し、和龍(おそらく北朝鮮寧切辺り)の北数百里(一里150m換算で約30~45辧砲防落を有し、(おそらく北朝鮮雲山の東北の熙川(ヒチョン)辺り?)多く寇盜を為した。
真君以來求朝獻歲貢名馬
真君(440~451)以来、朝献を求め、歳に卑馬(三尺馬の類(ポニー種)? 名(ベイ)=卑(ビ)?)を貢いだ。