顯祖時使莫弗紇何辰奉獻得班饗於諸國之末
顯祖時(465~471)、莫弗紇何辰をつかわし奉献をし、藩饗(藩のもてなし 班(ハン)=藩(ハン)?)を諸国の末(末尾)に得た。
歸而相謂言國家之美心皆忻慕
帰って、相(つぎつぎに)謂(語る)い、国家の美を言い、心は皆、忻慕(よろこびしたう)し、
於是東北群狄聞之莫不思服
ここに於いて東北の群狄はこれを聞き、服すを思わずはなし。
悉萬丹部何大何部伏弗鬱部羽陵部日連部匹潔部黎部吐六於部等各以其名馬文皮入獻天府遂求為常
悉萬丹部、何大何部、伏弗鬱部、羽陵部、日連部、匹潔部、黎部、吐六於部ら各(おのおの)は、その卑馬(背の低い馬 名(ベイ)=卑(ビ)?)、文皮(タイリクイタチの毛皮 文(ブン)=犭+眉(ビ)?)を以て天府に入献し、遂に商(あきない 常(ショウ)=商(ショウ)?)を為すことを求めた。
皆得交市於和龍密雲之間貢獻不絕
皆(みな)、和龍、密雲の間で市を交えることを得て、貢献は絶えなかった。
顯祖時(465~471)、莫弗紇何辰をつかわし奉献をし、藩饗(藩のもてなし 班(ハン)=藩(ハン)?)を諸国の末(末尾)に得た。
歸而相謂言國家之美心皆忻慕
帰って、相(つぎつぎに)謂(語る)い、国家の美を言い、心は皆、忻慕(よろこびしたう)し、
於是東北群狄聞之莫不思服
ここに於いて東北の群狄はこれを聞き、服すを思わずはなし。
悉萬丹部何大何部伏弗鬱部羽陵部日連部匹潔部黎部吐六於部等各以其名馬文皮入獻天府遂求為常
悉萬丹部、何大何部、伏弗鬱部、羽陵部、日連部、匹潔部、黎部、吐六於部ら各(おのおの)は、その卑馬(背の低い馬 名(ベイ)=卑(ビ)?)、文皮(タイリクイタチの毛皮 文(ブン)=犭+眉(ビ)?)を以て天府に入献し、遂に商(あきない 常(ショウ)=商(ショウ)?)を為すことを求めた。
皆得交市於和龍密雲之間貢獻不絕
皆(みな)、和龍、密雲の間で市を交えることを得て、貢献は絶えなかった。