世祖真君四年來朝稱其國西北有國家先帝舊墟
世祖真君四年(443)、来朝した。その国の西北に国家先帝(後燕の慕容氏?)の旧墟(旧跡)が有ると称(とな)えた。
石室南北九十步東西四十步高七十尺室有神靈民多祈請
石の室(いえ)で、南北が九十歩(一歩が50僂箸靴凸鵤苅毅蹇法東西が四十歩(一歩が50僂箸靴凸鵤横娃蹇法高さ七十尺(一尺20僂箸靴凸鵤隠苅蹇砲如⊆爾録昔遒有り、民は多くが祈請する、と。
世祖遣中書侍郎李敞告祭焉刊祝文於室之壁而還
世祖(北魏太武帝 在位423~452)は中書侍郎李敞告を遣わして祭らせた。室の壁に祝文を刊(彫り刻む)して還った。
今日で魏書 烏洛候国伝は終わりです。明日からは魏書 あとがきを訳したいと思います。
世祖真君四年(443)、来朝した。その国の西北に国家先帝(後燕の慕容氏?)の旧墟(旧跡)が有ると称(とな)えた。
石室南北九十步東西四十步高七十尺室有神靈民多祈請
石の室(いえ)で、南北が九十歩(一歩が50僂箸靴凸鵤苅毅蹇法東西が四十歩(一歩が50僂箸靴凸鵤横娃蹇法高さ七十尺(一尺20僂箸靴凸鵤隠苅蹇砲如⊆爾録昔遒有り、民は多くが祈請する、と。
世祖遣中書侍郎李敞告祭焉刊祝文於室之壁而還
世祖(北魏太武帝 在位423~452)は中書侍郎李敞告を遣わして祭らせた。室の壁に祝文を刊(彫り刻む)して還った。
今日で魏書 烏洛候国伝は終わりです。明日からは魏書 あとがきを訳したいと思います。