其王高建武即前王高元異母弟也
その王高建武(高句麗栄留王 在位618~642)は即ち、前王の高元(高句麗嬰陽王 在位590~618)の異母弟である。
武二年遣使來朝四年又遣使朝貢
武徳二年(619年)、使者を遣わし来朝した。四年(621)、又、使者を遣わして朝貢した。
高祖感隋末戰士多陷其地五年賜建武書曰
高祖(唐初代皇帝李淵 在位618~626)は、隋(581~618)の末に戦士の多くがその地に陥(うずまる)したことを感(心が動く)して、五年(622)、建武に書を賜り、曰く、
朕恭膺寶命君臨率士
「朕は宝命(天命)を恭応(つつしんで受ける)し、士を率いて君臨し、
祗順三靈綏柔萬國
三霊(天、地、人)に祗順(つつしんで順ずる)し、万国を綏柔(やすらかにする)する。
その王高建武(高句麗栄留王 在位618~642)は即ち、前王の高元(高句麗嬰陽王 在位590~618)の異母弟である。
武二年遣使來朝四年又遣使朝貢
武徳二年(619年)、使者を遣わし来朝した。四年(621)、又、使者を遣わして朝貢した。
高祖感隋末戰士多陷其地五年賜建武書曰
高祖(唐初代皇帝李淵 在位618~626)は、隋(581~618)の末に戦士の多くがその地に陥(うずまる)したことを感(心が動く)して、五年(622)、建武に書を賜り、曰く、
朕恭膺寶命君臨率士
「朕は宝命(天命)を恭応(つつしんで受ける)し、士を率いて君臨し、
祗順三靈綏柔萬國
三霊(天、地、人)に祗順(つつしんで順ずる)し、万国を綏柔(やすらかにする)する。