但隋氏季年連兵構難
但(ただし)、隋氏(隋)の季年(末世)、兵を連ねて難(戦乱)を構え、
攻戰之所各失其民
攻戦の所は各(おのおの)その民を失った。
遂使骨肉乖離室家分析
遂に骨肉(親子兄弟など)は乖離(離れる)し、室家は分析(わかれる)した。
多歷年歲怨曠不申
年歳を多歷(多く経る)し、怨恨(うらみ 曠(コウ)=恨(コン)?)は申さず。
今二國通和義無阻異在此所有高麗人等已令追括尋即遣送
今、二国(唐と高麗)は通和し、義に阻異(へだたり)は無い。此(ここ)に高麗人らがいる所が在(あ)り、已(すで)に追括(さがしもとめる)を令し、尋(ききただす)して即ち遣送(送り出す)した。
彼處有此國人者王可放還務盡撫育之方共弘仁恕之道
彼(か)の、此(こ)の国人がいる処(ところ)は、王は放還して、撫育(かわいがって育てる)の方(方法)を務尽(はげむ)し、仁恕(いつくしみぶかくて、おもいやりのあること)の道(みち)を洪弘(大きくする 共=洪?)するべきである。
但(ただし)、隋氏(隋)の季年(末世)、兵を連ねて難(戦乱)を構え、
攻戰之所各失其民
攻戦の所は各(おのおの)その民を失った。
遂使骨肉乖離室家分析
遂に骨肉(親子兄弟など)は乖離(離れる)し、室家は分析(わかれる)した。
多歷年歲怨曠不申
年歳を多歷(多く経る)し、怨恨(うらみ 曠(コウ)=恨(コン)?)は申さず。
今二國通和義無阻異在此所有高麗人等已令追括尋即遣送
今、二国(唐と高麗)は通和し、義に阻異(へだたり)は無い。此(ここ)に高麗人らがいる所が在(あ)り、已(すで)に追括(さがしもとめる)を令し、尋(ききただす)して即ち遣送(送り出す)した。
彼處有此國人者王可放還務盡撫育之方共弘仁恕之道
彼(か)の、此(こ)の国人がいる処(ところ)は、王は放還して、撫育(かわいがって育てる)の方(方法)を務尽(はげむ)し、仁恕(いつくしみぶかくて、おもいやりのあること)の道(みち)を洪弘(大きくする 共=洪?)するべきである。