高祖嘗謂侍臣曰名實之間理須相副
唐高祖は嘗て侍臣に謂った、曰く、「名実(うわべと中身)の間は、理(ことわり)と須(必然?)が相(あい)副(分ける)しあう。
高麗稱臣于隋終拒煬帝此亦何臣之有
高麗は隋に臣を称(とな)えたが、終いには煬帝(隋二代皇帝)を拒(こば)んだ。此れ、亦(また)、なんと臣の雄(すぐれる 有(ユウ)=雄(ユウ)?)ではないか。
朕敬於萬物不欲驕貴但據有土宇務共安人
朕は万物を敬い、驕貴を欲しない。但(ただ)、土宇(領土)を拠有(よりどころとして持っている)し、人と共安(ともにやすんじる))することに務める。
何必令其稱臣以自尊大即爲詔述朕此懷也
どうして必ずその称臣に令して、自らを以て尊大にさせるのか。即ち、詔(みことのり)をして朕のこの懐(思い)を述べよう」と。
唐高祖は嘗て侍臣に謂った、曰く、「名実(うわべと中身)の間は、理(ことわり)と須(必然?)が相(あい)副(分ける)しあう。
高麗稱臣于隋終拒煬帝此亦何臣之有
高麗は隋に臣を称(とな)えたが、終いには煬帝(隋二代皇帝)を拒(こば)んだ。此れ、亦(また)、なんと臣の雄(すぐれる 有(ユウ)=雄(ユウ)?)ではないか。
朕敬於萬物不欲驕貴但據有土宇務共安人
朕は万物を敬い、驕貴を欲しない。但(ただ)、土宇(領土)を拠有(よりどころとして持っている)し、人と共安(ともにやすんじる))することに務める。
何必令其稱臣以自尊大即爲詔述朕此懷也
どうして必ずその称臣に令して、自らを以て尊大にさせるのか。即ち、詔(みことのり)をして朕のこの懐(思い)を述べよう」と。