魏其之東朝盛推灌夫之善
魏其侯竇嬰は東朝に行き、盛んに灌夫の善(ぜん)を推(お)し、
言其醉飽得過乃丞相以他事誣罪之
その酔って満腹になって過(あやま)ちを得たのだと言った。そこで、漢丞相武安侯田蚡は他事を以ってこれを罪におとしいれようとした。
武安又盛毀灌夫所為恣罪逆不道
漢丞相武安侯田蚡もまた盛んに灌夫が思うままにしているところは、罪は悪逆無道であると謗(そし)った。
魏其度不可奈何因言丞相短
魏其侯竇嬰は如何(いかん)ともできないと考え、因(よ)りて漢丞相武安侯田蚡の短所を言った。
武安曰天下幸而安樂無事
漢丞相武安侯田蚡曰く、「天下は幸いにして安楽無事(あんらくぶじ)で、
蚡得為肺腑所好音樂狗馬田宅
わたしは外戚と為るを得て、好むところは音楽、犬、馬、田宅で、
蚡所愛倡優巧匠之屬不如魏其
わたしの愛(め)でるところは役者、巧匠(こうしょう)の属であって、魏其侯、
灌夫日夜招聚天下豪桀壯士與論議
灌夫は日夜(にちや)天下の豪傑(ごうけつ)壮士を集(あつ)め招(まね)いてともに論議し、
腹誹而心謗不仰視天而俯畫地
腹(はら)はそしりて心はうらみ、天を視(み)て仰(あお)がずして地を計算して俯(うつむ)き、
辟倪兩宮間幸天下有變而欲有大功
両宮の間を避(さ)けて横目で見て、幸いにも天下に変事が有れば、大功を有することを欲している
に越したことはありません。
臣乃不知魏其等所為於是上問朝臣
わたしはすなわち魏其侯らの為すところを理解できないのです」と。ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は
朝臣に問うた、
兩人孰是御史大夫韓安國曰
「二人はどちらが正しいか?」と。漢御史大夫韓安国曰く、
魏其言灌夫父死事身荷戟馳入不測之吳軍
「魏其侯は灌夫の父の死した事を言い、身(み)みずからほこを背負い不測(ふそく)の呉軍に馳(は)せ入り、
身被數十創名冠三軍此天下壯士
身(み)に数十の傷を被(こうむ)り、名は三軍に冠(かん)し、これは天下の壮士で、
非有大惡爭杯酒不足引他過以誅也
大悪を有することはなく、杯(さかずき)の酒を争い、他の過(あやま)ちを引いて誅(ちゅう)するを以ってするには足らないのでありますと。
魏其言是也丞相亦言灌夫通奸猾
魏其侯の言は正しいのであります。丞相もまた灌夫が悪賢い人間と交際し、
侵細民家累巨萬恣潁川
細民(さいみん)を侵(おか)し、家には巨万を累積(るいせき)し、潁川を思うままにし、
淩轢宗室侵犯骨肉此所謂
宗室をあなどりふみにじり、骨肉を侵犯(しんぱん)し、これ所謂(いわゆる)、
枝大於本脛大於股不折必披
『枝(えだ)が本(もと)より大きく、脛(すね)が股(また)より大きく、折(お)らなければ必ず(もとを)裂(さ)く』と。
丞相言亦是唯明主裁之
丞相の言もまた正しいです。唯(ただ)明主がこれをお裁(さば)きください」と。
主爵都尉汲黯是魏其
漢主爵都尉汲黯は魏其侯竇嬰を正しいとした。
內史鄭當時是魏其後不敢堅對
漢内史鄭は当初は魏其侯竇嬰を正しいとしたが、後に敢(あ)えて堅(かた)く応(こた)えなかった。
餘皆莫敢對上怒內史曰
残りは皆(みな)敢(あ)えて応(こた)えなかった。上(漢孝武帝劉徹)は漢内史鄭を怒り曰く、
公平生數言魏其武安長短
「公はふだんたびたび魏其侯、武安侯の長所短所を言っているのに、
今日廷論局趣效轅下駒吾並斬若屬矣
今日、朝廷で論ずるは、屈(くっ)しかがんで、轅(ながえ)につけられた子馬のようである。吾(われ)はなんじのような者もともに斬る」と。
即罷起入上食太后
すなわちやめて立ち上がって入り、王太后に食事を差し上げた。
太后亦已使人候伺具以告太后
王太后もまたすでに人をつかわしうかがわせ、具(つぶさ)に王太后に告(つ)げさせるを以ってした。
太后怒不食曰
王太后は怒って食べず、曰く、
今我在也而人皆藉吾弟
「今、我(われ)が在(あ)っても、人は皆(みな)吾(わ)が弟(漢丞相武安侯田蚡)をふみにじるのですから、
令我百歲後皆魚肉之矣
我(われ)が死んだ後にして、皆(みな)これを魚肉とするでしょう。
且帝能為石人邪此特帝在即錄錄
まさに帝はいっそ石人と為ることができますか。ここに特に帝が在(あ)るのに、すなわち録録(ろくろく)と役にたたず、
設百歲後是屬寧有可信者乎
もし死んだ後、このような者たちに寧(むし)ろ信ずるべき者が有りましょうか」と。
上謝曰俱宗室外家故廷辯之
上(漢孝武帝劉徹)曰く、「ともに宗室、外戚家であり、故(ゆえ)にこれを朝廷で弁(べん)させたのです。
不然此一獄吏所決耳
然(しか)らずんば、これ、一人の獄史の決するところであるのみ」と。
是時郎中令石建為上別言兩人事
この時、漢郎中令石建が上(漢孝武帝劉徹)の為(ため)に二人の事を別々(べつべつ)に言上した。
魏其侯竇嬰は東朝に行き、盛んに灌夫の善(ぜん)を推(お)し、
言其醉飽得過乃丞相以他事誣罪之
その酔って満腹になって過(あやま)ちを得たのだと言った。そこで、漢丞相武安侯田蚡は他事を以ってこれを罪におとしいれようとした。
武安又盛毀灌夫所為恣罪逆不道
漢丞相武安侯田蚡もまた盛んに灌夫が思うままにしているところは、罪は悪逆無道であると謗(そし)った。
魏其度不可奈何因言丞相短
魏其侯竇嬰は如何(いかん)ともできないと考え、因(よ)りて漢丞相武安侯田蚡の短所を言った。
武安曰天下幸而安樂無事
漢丞相武安侯田蚡曰く、「天下は幸いにして安楽無事(あんらくぶじ)で、
蚡得為肺腑所好音樂狗馬田宅
わたしは外戚と為るを得て、好むところは音楽、犬、馬、田宅で、
蚡所愛倡優巧匠之屬不如魏其
わたしの愛(め)でるところは役者、巧匠(こうしょう)の属であって、魏其侯、
灌夫日夜招聚天下豪桀壯士與論議
灌夫は日夜(にちや)天下の豪傑(ごうけつ)壮士を集(あつ)め招(まね)いてともに論議し、
腹誹而心謗不仰視天而俯畫地
腹(はら)はそしりて心はうらみ、天を視(み)て仰(あお)がずして地を計算して俯(うつむ)き、
辟倪兩宮間幸天下有變而欲有大功
両宮の間を避(さ)けて横目で見て、幸いにも天下に変事が有れば、大功を有することを欲している
に越したことはありません。
臣乃不知魏其等所為於是上問朝臣
わたしはすなわち魏其侯らの為すところを理解できないのです」と。ここに於いて上(漢孝武帝劉徹)は
朝臣に問うた、
兩人孰是御史大夫韓安國曰
「二人はどちらが正しいか?」と。漢御史大夫韓安国曰く、
魏其言灌夫父死事身荷戟馳入不測之吳軍
「魏其侯は灌夫の父の死した事を言い、身(み)みずからほこを背負い不測(ふそく)の呉軍に馳(は)せ入り、
身被數十創名冠三軍此天下壯士
身(み)に数十の傷を被(こうむ)り、名は三軍に冠(かん)し、これは天下の壮士で、
非有大惡爭杯酒不足引他過以誅也
大悪を有することはなく、杯(さかずき)の酒を争い、他の過(あやま)ちを引いて誅(ちゅう)するを以ってするには足らないのでありますと。
魏其言是也丞相亦言灌夫通奸猾
魏其侯の言は正しいのであります。丞相もまた灌夫が悪賢い人間と交際し、
侵細民家累巨萬恣潁川
細民(さいみん)を侵(おか)し、家には巨万を累積(るいせき)し、潁川を思うままにし、
淩轢宗室侵犯骨肉此所謂
宗室をあなどりふみにじり、骨肉を侵犯(しんぱん)し、これ所謂(いわゆる)、
枝大於本脛大於股不折必披
『枝(えだ)が本(もと)より大きく、脛(すね)が股(また)より大きく、折(お)らなければ必ず(もとを)裂(さ)く』と。
丞相言亦是唯明主裁之
丞相の言もまた正しいです。唯(ただ)明主がこれをお裁(さば)きください」と。
主爵都尉汲黯是魏其
漢主爵都尉汲黯は魏其侯竇嬰を正しいとした。
內史鄭當時是魏其後不敢堅對
漢内史鄭は当初は魏其侯竇嬰を正しいとしたが、後に敢(あ)えて堅(かた)く応(こた)えなかった。
餘皆莫敢對上怒內史曰
残りは皆(みな)敢(あ)えて応(こた)えなかった。上(漢孝武帝劉徹)は漢内史鄭を怒り曰く、
公平生數言魏其武安長短
「公はふだんたびたび魏其侯、武安侯の長所短所を言っているのに、
今日廷論局趣效轅下駒吾並斬若屬矣
今日、朝廷で論ずるは、屈(くっ)しかがんで、轅(ながえ)につけられた子馬のようである。吾(われ)はなんじのような者もともに斬る」と。
即罷起入上食太后
すなわちやめて立ち上がって入り、王太后に食事を差し上げた。
太后亦已使人候伺具以告太后
王太后もまたすでに人をつかわしうかがわせ、具(つぶさ)に王太后に告(つ)げさせるを以ってした。
太后怒不食曰
王太后は怒って食べず、曰く、
今我在也而人皆藉吾弟
「今、我(われ)が在(あ)っても、人は皆(みな)吾(わ)が弟(漢丞相武安侯田蚡)をふみにじるのですから、
令我百歲後皆魚肉之矣
我(われ)が死んだ後にして、皆(みな)これを魚肉とするでしょう。
且帝能為石人邪此特帝在即錄錄
まさに帝はいっそ石人と為ることができますか。ここに特に帝が在(あ)るのに、すなわち録録(ろくろく)と役にたたず、
設百歲後是屬寧有可信者乎
もし死んだ後、このような者たちに寧(むし)ろ信ずるべき者が有りましょうか」と。
上謝曰俱宗室外家故廷辯之
上(漢孝武帝劉徹)曰く、「ともに宗室、外戚家であり、故(ゆえ)にこれを朝廷で弁(べん)させたのです。
不然此一獄吏所決耳
然(しか)らずんば、これ、一人の獄史の決するところであるのみ」と。
是時郎中令石建為上別言兩人事
この時、漢郎中令石建が上(漢孝武帝劉徹)の為(ため)に二人の事を別々(べつべつ)に言上した。