初遼東之陷也伐音乞降既而中悔帝怒其反覆許以城中人物分賜戰士
初(以前)、遼東(インチョン?)の陥(攻め落とされる)のとき、伐音は降伏を乞うた。既(まもなく)にして中悔(中途で悔やむ)し、帝(唐太宗)はその反覆を怒り、城中の人、物を以て戦士に分賜することを許可した。
及是李勣言於帝曰戰士奮爭先不顧矢石者貪虜獲耳
是(これ)に及び、李勣は帝(唐太宗)に言った、曰く、「戦士は奮(いさみたつ)して先を争い、矢、石を顧みないのは、虜獲(人をとりこにし物をうばいとる)を貪ることのみ。
今城垂拔奈何更許其降無乃辜將士之心乎
今、城は抜(攻め落とす)を垂(なろうとする)れんとするのに、奈何(どうして)、更(変える)にその降服を許(ききいれる)し、将士の心を無にし乃ち辜(そむく)にするのですか?」と。
帝曰將軍言是也然縱兵殺戮虜其妻孥朕所不忍也
帝(唐太宗)は曰く、「将軍の言は是(ただしい)であるが、然るに、兵を縦(はなつ)し殺戮し、その妻孥(妻子)を虜(とりこ)にするは、朕は忍びないところである。
將軍麾下有功者朕以庫物賞之庶因將軍贖此一城
将軍の麾下(指揮下の兵)の功が有った者には、朕が庫物を以てこれに賞する。将軍に因りてこの一城を贖(あがな)うに庶(ほとんど達している)である。」と。
遂受降獲士女一萬勝兵二千四百以其城置岩州授孫伐音爲岩州刺史
遂に降服を受けた。士女一万人、勝兵(強い兵)二千四百人を獲(と)り、その城を以て岩州を置き、孫伐音に岩州刺史を授けた。
初(以前)、遼東(インチョン?)の陥(攻め落とされる)のとき、伐音は降伏を乞うた。既(まもなく)にして中悔(中途で悔やむ)し、帝(唐太宗)はその反覆を怒り、城中の人、物を以て戦士に分賜することを許可した。
及是李勣言於帝曰戰士奮爭先不顧矢石者貪虜獲耳
是(これ)に及び、李勣は帝(唐太宗)に言った、曰く、「戦士は奮(いさみたつ)して先を争い、矢、石を顧みないのは、虜獲(人をとりこにし物をうばいとる)を貪ることのみ。
今城垂拔奈何更許其降無乃辜將士之心乎
今、城は抜(攻め落とす)を垂(なろうとする)れんとするのに、奈何(どうして)、更(変える)にその降服を許(ききいれる)し、将士の心を無にし乃ち辜(そむく)にするのですか?」と。
帝曰將軍言是也然縱兵殺戮虜其妻孥朕所不忍也
帝(唐太宗)は曰く、「将軍の言は是(ただしい)であるが、然るに、兵を縦(はなつ)し殺戮し、その妻孥(妻子)を虜(とりこ)にするは、朕は忍びないところである。
將軍麾下有功者朕以庫物賞之庶因將軍贖此一城
将軍の麾下(指揮下の兵)の功が有った者には、朕が庫物を以てこれに賞する。将軍に因りてこの一城を贖(あがな)うに庶(ほとんど達している)である。」と。
遂受降獲士女一萬勝兵二千四百以其城置岩州授孫伐音爲岩州刺史
遂に降服を受けた。士女一万人、勝兵(強い兵)二千四百人を獲(と)り、その城を以て岩州を置き、孫伐音に岩州刺史を授けた。