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Channel: 倭人伝を解く
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明日延壽獨見李勣兵

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明日延壽獨見李勣兵欲與戰太宗遙望無忌軍塵起令鼓角並作旗幟齊舉

明日(つぎの日)、延寿は独(ただ)李勣の兵だけを見て、ともに戦うことを欲した。唐太宗は無忌軍の沈居(ひそみうずくまる)を遥かに望み、令して、鼓(つづみ)、角(つのぶえ)を並(みな)作(鳴らす)らせ、旗幟を一斉に挙げさせた。

賊衆大懼將分兵禦之而其陣已亂李勣以步卒長槍一萬擊之延壽衆敗

賊衆は大いに懼(おそ)れ、将(まさ)に兵を分けてこれを禦(ふせぐ)さんとし、而して、その陣は已(はなはだ)乱れた。李勣は歩卒の長槍一万人を以てこれを撃たせ、延寿の衆は敗(やぶれる)した。

無忌縱兵乘其後太宗又自山而下引軍臨之賊因大潰斬首萬餘級

無忌は兵を縦(はなつ)してその背後を衝(つく 乗(ショウ)=衝(ショウ)?)き、唐太宗も又、山より下り、軍を引いてこれに臨んだ。賊は因りて大いに潰えた。斬首一万余級。

延壽等率其餘寇依山自保於是命無忌勣等引兵圍之撤東川梁以斷歸路

延寿らはその残った兵を率いて、山に依りて自ら保(守る)した。ここに於いて無忌、李勣らに命じて、兵を引いてこれを包囲させ、東川の梁(はし)を撤(とりはらう)して帰路を断った。

太宗按轡徐行觀賊營壘謂侍臣曰高麗傾國而來存亡所系一麾而敗天佑我也

唐太宗は轡(たづな)を按(おさえる)して徐行し、賊の営塁を観た、侍臣に謂った、曰く、「高麗は傾国(国中の人を動員する)にして来たが、存亡の系(か)かる所は、一麾(ひとふり)にして敗けた。天祐(天の助け)は我にあった。」と。

因下馬再拜以謝天延壽等膝行而前拜手請命太宗簡傉薩以下酋長三千五百人授以戎秩遷之內地

因りて下馬して再拝し、天に感謝した。延寿らは膝行(ひざを地につけたまま進み出る)にして前に進み、拝手して命を請うた。唐太宗は傉薩(都督)以下酋長(首長)三千五百人に見(まみえる 簡(ケン)=見(ケン)?)して、戎秩を授け、内地に遷した。

收靺鞨三千三百盡坑之餘衆放還平壤獲馬三萬疋牛五萬頭明光甲五千領他器械稱是

靺鞨の三千三百人を収めて、尽くこれを帰(かえす 坑(コウ)=帰(コイ)?)した。余(残り)の衆は平壌に放還した。馬三万頭、牛五万頭、明光甲(よろい)五千領、その他の器械(武器)もこれに称(かなう)するほど獲(と)った。

高麗國振駭後黃城及銀城並自拔數百里無復人煙

高麗国は振駭(おどろきふるえる)し、後黄城及び銀城は並(みな)、自ら抜(落ちる)いた。数百里(一里150m換算で約30辧腺苅記辧砲蓮⊃惘帖平諭淵献鵝法畤悄淵献鵝法 煙(エン)=営(エイ)?)を布(しく 復(フー)=布(フ)?)くことは無かった。

因名所幸山爲駐蹕山令將作造破陣圖命中書侍郎許敬宗爲文勒石以紀其功

因りて、幸する所の山を名付けて駐蹕山とした。将軍に令して破陣図を作造させ、中書侍郎許敬宗に命じて文をつくらせ、石に勒(きざむ)してその功績を紀した。

授高延壽鴻臚卿高惠真司農卿

高延寿に鴻臚卿を、高恵真(貞?)に司農卿を授けた。

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