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其春武安侯病專呼服謝罪

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其春武安侯病專呼服謝罪
   
その春(元光六年春)漢丞相武安侯田蚡は病(やまい)にかかり、専(もっぱ)ら叫んで、 罪をみとめ謝(あやま)った。

使巫視鬼者視之見魏其灌夫共守欲殺之

巫視鬼者をしてこれを視(み)させると、魏其侯竇嬰、灌夫が共(とも)にとりついてこれを殺そうと欲していると見た。

竟死子恬嗣元朔三年武安侯坐衣襜褕入宮不敬

とうとう死んだ。子の田恬が継(つ)いだ。元朔三年、武安侯田恬はまえだれ、美しい着物を着て宮に入って不敬であると罪に問われた。

淮南王安謀反覺治

淮南王劉安の謀反(むほん)が発覚し、治(おさ)まった。

王前朝武安侯為太尉時迎王至霸上謂王曰

淮南王劉安が以前朝したとき、武安侯田蚡は漢太尉として、この時、淮南王劉安を迎(むか)えに覇上に至り淮南王劉安に謂(い)った、曰く、

上未有太子大王最賢高祖孫

「上にはまだ太子がなく、大王は最も賢く、高祖(劉邦)の孫で、

即宮車晏駕非大王立當誰哉

すなわち上が亡くなれば、大王が立たずに誰に当(あ)てるべきでしょうかな」と。

淮南王大喜厚遺金財

淮南王劉安は大いに喜び、厚(あつ)く金財を贈(おく)った。

上自魏其時不直武安特為太后故耳

上(漢孝武帝劉徹)は魏其侯竇嬰の時より、漢丞相武安侯田蚡に向き合わず とりわけ王太后の故(ゆえ)としてのみ。

及聞淮南王金事上曰

淮南王劉安の金事を聞くに及んで、上(漢孝武帝劉徹)曰く、

使武安侯在者族矣

「もし武安侯がいたら、族刑であった」と。

太史公曰魏其武安皆以外戚重

太史公曰く、「魏其侯、武安侯は皆(みな)、外戚を以って重(おも)んぜられ、

灌夫用一時決筴而名顯

灌夫はひとたび決死の策を用いて名が顕(あきら)かになった。

魏其之舉以吳楚武安之貴在日月之際

魏其侯の挙用は呉楚の乱を以ってで、武安侯の貴(き)は太陽、月の際(きわ)に在(あ)った。

然魏其誠不知時變灌夫無術而不遜兩人相翼乃成禍亂

然るに魏其侯は誠(まこと)に時の変化を知らず、灌夫は学問無くして不遜(ふそん)で、二人は相(あい)助け合い、そこで禍乱を成(な)した。

武安負貴而好權杯酒責望陷彼兩賢

武安侯は貴(き)をたのみにして、権力を好み、杯(さかずき)の酒が怨(うら)みを積(つ)み、彼(か)の二人の賢者を陥(おとしい)れた。

嗚呼哀哉遷怒及人命亦不延

ああ、哀(かな)しいかな。やつあたりをして人に及ぼし、命もまた延(の)びなかった。

眾庶不載竟被惡言

多くの民がいただかず、ついには悪言を被(こうむ)った。

嗚呼哀哉禍所從來矣

ああ、哀(かな)しいかな。禍(わざわい)とはあとからついて来るところである」と。


今日で史記 魏其武安侯列伝は終わりです。明日からは史記 韓長孺列伝に入ります。

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