昔者秦穆公殺三良而死
むかし、秦穆公嬴任好(または秦繆公とも)三人の良臣にして死をして殺し(殉死させ)、
罪百里奚而非其罪也
百里奚にしてその罪に非(あら)ざるを罪(つみ)したので、
故立號曰繆
故(ゆえ)に号を立てて曰く、繆(あやまり、まちがい)と。
昭襄王殺武安君白起楚平王殺伍奢
秦昭襄王赢稷は秦武安君白起を殺した。楚平王熊居は楚太傅伍奢(伍子胥の父)を殺しました。
吳王夫差殺伍子胥此四君者
呉王夫差(姫夫差)は伍子胥を殺しました。この四人の君主とは、
皆為大失而天下非之以其君為不明
皆(みな)大損失を為して、天下はこれをそしり、その君主を以って賢明ではないと為し、
以是籍於諸侯故曰用道治者不殺無罪
これを以って諸侯に言いはやされました。故(ゆえ)に曰く、道を用(もち)いて治めるものは罪無き者を殺さず、
而罰不加於無辜唯大夫留心
しこうして罰(ばつ)は罪無き者に於いて加(くわ)えず、と。ただ大夫(秦御史曲宮)には心に留(とど)められよ」と。
使者知胡亥之意不聽蒙毅之言遂殺之
使者(秦御史曲宮)は秦二世皇帝赢胡亥の意(い)を知っていたので、秦上卿蒙毅の言を聴き入れず、遂(つい)にこれを殺した。
二世又遣使者之陽周令蒙恬曰
秦二世皇帝赢胡亥はまた使者をつかわし陽周に行かせ、秦内史将軍蒙恬に令(れい)して曰く、
君之過多矣而卿弟毅有大罪
「君の過(あやま)ちは多く、しこうして卿である弟の秦上卿蒙毅には大罪(たいざい)が有り、
法及內史恬曰自吾先人
法は内史(秦内史蒙恬)に及(およ)ぶ」と。秦内史将軍蒙恬曰く、「吾(われ)の先人(せんじん)より、
及至子孫積功信於秦三世矣
子孫に至るに及んで、功績、信用を秦の三代に於いて積(つ)んできました。
今臣將兵三十餘萬身雖囚系
今、わたしは兵三十余万人を率(ひき)いて、身(み)は囚(とら)われつながれていると雖(いえど)も、
其勢足以倍畔然自知必死而守義者
その勢(いきお)いは叛(そむ)くを以ってするに足(た)りますが、然(しか)るに自(みずか)ら
必ず死ぬことを知りながら義(ぎ)を守(まも)るのは、
不敢辱先人之教以不忘先主也
敢(あ)えて先人(せんじん)の教えを辱(はずかし)めず、先代の君主を忘(わす)れずを以ってするからです。
むかし、秦穆公嬴任好(または秦繆公とも)三人の良臣にして死をして殺し(殉死させ)、
罪百里奚而非其罪也
百里奚にしてその罪に非(あら)ざるを罪(つみ)したので、
故立號曰繆
故(ゆえ)に号を立てて曰く、繆(あやまり、まちがい)と。
昭襄王殺武安君白起楚平王殺伍奢
秦昭襄王赢稷は秦武安君白起を殺した。楚平王熊居は楚太傅伍奢(伍子胥の父)を殺しました。
吳王夫差殺伍子胥此四君者
呉王夫差(姫夫差)は伍子胥を殺しました。この四人の君主とは、
皆為大失而天下非之以其君為不明
皆(みな)大損失を為して、天下はこれをそしり、その君主を以って賢明ではないと為し、
以是籍於諸侯故曰用道治者不殺無罪
これを以って諸侯に言いはやされました。故(ゆえ)に曰く、道を用(もち)いて治めるものは罪無き者を殺さず、
而罰不加於無辜唯大夫留心
しこうして罰(ばつ)は罪無き者に於いて加(くわ)えず、と。ただ大夫(秦御史曲宮)には心に留(とど)められよ」と。
使者知胡亥之意不聽蒙毅之言遂殺之
使者(秦御史曲宮)は秦二世皇帝赢胡亥の意(い)を知っていたので、秦上卿蒙毅の言を聴き入れず、遂(つい)にこれを殺した。
二世又遣使者之陽周令蒙恬曰
秦二世皇帝赢胡亥はまた使者をつかわし陽周に行かせ、秦内史将軍蒙恬に令(れい)して曰く、
君之過多矣而卿弟毅有大罪
「君の過(あやま)ちは多く、しこうして卿である弟の秦上卿蒙毅には大罪(たいざい)が有り、
法及內史恬曰自吾先人
法は内史(秦内史蒙恬)に及(およ)ぶ」と。秦内史将軍蒙恬曰く、「吾(われ)の先人(せんじん)より、
及至子孫積功信於秦三世矣
子孫に至るに及んで、功績、信用を秦の三代に於いて積(つ)んできました。
今臣將兵三十餘萬身雖囚系
今、わたしは兵三十余万人を率(ひき)いて、身(み)は囚(とら)われつながれていると雖(いえど)も、
其勢足以倍畔然自知必死而守義者
その勢(いきお)いは叛(そむ)くを以ってするに足(た)りますが、然(しか)るに自(みずか)ら
必ず死ぬことを知りながら義(ぎ)を守(まも)るのは、
不敢辱先人之教以不忘先主也
敢(あ)えて先人(せんじん)の教えを辱(はずかし)めず、先代の君主を忘(わす)れずを以ってするからです。