中道遇一大水欲濟無梁夫餘人追之甚急硃蒙告水曰我是日子河伯外孫今追兵垂及如何得濟
中道(途中)、ある大きな水(川)に遇(あたる)し、済(渡る)ことを欲したが、梁(橋)が無かった。夫余人はこれを追いかけること甚だ急で、硃蒙は水(川)に告げて曰く、「我は是れ、日(太陽)の子で、河伯(タンチョウ?)の外孫である。今、追兵が垂及(及ばんとする)している。どうしたら済(渡る)することができるだろうか」と。
於是魚鱉爲之成橋硃蒙得度魚鱉乃解追騎不度
ここに於いて、魚鱉(=鰐鰒と書けてワニのようなサメの意で、チョウザメ? 魚(ゴ)=鰐(ガク)? 鱉(ヘツ)=鰒(フー)?)がこれの為に橋を成し、硃蒙は渡ることを得た。魚鱉(チョウザメ?)はそこで(橋を)解いたので、追騎は渡れなかった。
硃蒙遂至普述水遇見三人一著麻衣一著衲衣一著水藻衣與硃蒙至紇升骨城遂居焉
硃蒙は遂に普述水に至り、三人に遇見(であう)した。一人は褓衣(うぶぎ 麻(バ)=褓(バオ)?)を著(着る)し、一人は褆衣(衣服の正しくととのっているさま 衲(ダフ)=褆(ダイ)?)を著(着る)し、一人は襚喪衣(きょうかたびら? 水(スイ)=襚(スイ)? 藻(ソウ)=喪(ソウ)?)を著(着る)していた。硃蒙とともに紇升骨城に至り、遂に居したのである。
號曰高句麗因以高爲氏其在夫餘妻懷孕硃蒙逃後生子始閭諧
号して曰く、高句麗と。因りて高を以て氏を為した。その夫余に在ったとき、妻が懐孕(懐妊)し、硃蒙が逃げた後、子を生んで閭諧と称(名のる 始(シー)=称(ショウ)?)した。
及長知硃蒙爲國王即與母亡歸之名曰閭達委之國事
成長するに及んで、硃蒙が国王に為ったことを知り、即(まもなく)母とともにこれに亡帰(逃げ帰る)した。名付けて曰く、閭達と。これに国事を委ねた。
中道(途中)、ある大きな水(川)に遇(あたる)し、済(渡る)ことを欲したが、梁(橋)が無かった。夫余人はこれを追いかけること甚だ急で、硃蒙は水(川)に告げて曰く、「我は是れ、日(太陽)の子で、河伯(タンチョウ?)の外孫である。今、追兵が垂及(及ばんとする)している。どうしたら済(渡る)することができるだろうか」と。
於是魚鱉爲之成橋硃蒙得度魚鱉乃解追騎不度
ここに於いて、魚鱉(=鰐鰒と書けてワニのようなサメの意で、チョウザメ? 魚(ゴ)=鰐(ガク)? 鱉(ヘツ)=鰒(フー)?)がこれの為に橋を成し、硃蒙は渡ることを得た。魚鱉(チョウザメ?)はそこで(橋を)解いたので、追騎は渡れなかった。
硃蒙遂至普述水遇見三人一著麻衣一著衲衣一著水藻衣與硃蒙至紇升骨城遂居焉
硃蒙は遂に普述水に至り、三人に遇見(であう)した。一人は褓衣(うぶぎ 麻(バ)=褓(バオ)?)を著(着る)し、一人は褆衣(衣服の正しくととのっているさま 衲(ダフ)=褆(ダイ)?)を著(着る)し、一人は襚喪衣(きょうかたびら? 水(スイ)=襚(スイ)? 藻(ソウ)=喪(ソウ)?)を著(着る)していた。硃蒙とともに紇升骨城に至り、遂に居したのである。
號曰高句麗因以高爲氏其在夫餘妻懷孕硃蒙逃後生子始閭諧
号して曰く、高句麗と。因りて高を以て氏を為した。その夫余に在ったとき、妻が懐孕(懐妊)し、硃蒙が逃げた後、子を生んで閭諧と称(名のる 始(シー)=称(ショウ)?)した。
及長知硃蒙爲國王即與母亡歸之名曰閭達委之國事
成長するに及んで、硃蒙が国王に為ったことを知り、即(まもなく)母とともにこれに亡帰(逃げ帰る)した。名付けて曰く、閭達と。これに国事を委ねた。