太武時曾孫始遣使者詣安東奉表貢方物並請國諱
北魏太武時(在位423~452)、の曾孫のが使者を遣わすことを始め、安東(使者名)に詣でさせ、奉表して方物を貢ぎ、並びに国の諱を請うた。
太武嘉其誠款詔下帝系名諱于其國
太武はその誠款(まごころ)を嘉し、詔してその国に帝系名諱を下した。
使員外散騎侍郎李敖拜爲都督遼海諸軍事征東將軍領東夷中郎將遼東郡公高句麗王
員外散騎侍郎李敖をつかわしに拝させ、都督遼海諸軍事、征東将軍、領東夷中郎将、遼東郡公、高句麗王と為した。
敖至其所居平壤城訪其方事云
敖はその所に至り、平壌城(おそらく水原(スウォン)辺り?)に居し、その方事(方角の事)を訪(たずねる)した。云った、
去遼東南一千餘里東至柵城南至小海北至舊夫餘人戶參倍于前魏時
「(平壌城は)遼東(仁川辺り?)の南に一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓|録涵紊猟樟イ瞭麈椶ら三倍になります)で、東に柵城に至り、南に小海(黄海?)に至り、北に旧夫余(おそらく平壌(ピョンヤン)? 音より)に至ります。人戸は前魏時の三倍です」と。
北魏太武時(在位423~452)、の曾孫のが使者を遣わすことを始め、安東(使者名)に詣でさせ、奉表して方物を貢ぎ、並びに国の諱を請うた。
太武嘉其誠款詔下帝系名諱于其國
太武はその誠款(まごころ)を嘉し、詔してその国に帝系名諱を下した。
使員外散騎侍郎李敖拜爲都督遼海諸軍事征東將軍領東夷中郎將遼東郡公高句麗王
員外散騎侍郎李敖をつかわしに拝させ、都督遼海諸軍事、征東将軍、領東夷中郎将、遼東郡公、高句麗王と為した。
敖至其所居平壤城訪其方事云
敖はその所に至り、平壌城(おそらく水原(スウォン)辺り?)に居し、その方事(方角の事)を訪(たずねる)した。云った、
去遼東南一千餘里東至柵城南至小海北至舊夫餘人戶參倍于前魏時
「(平壌城は)遼東(仁川辺り?)の南に一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓|録涵紊猟樟イ瞭麈椶ら三倍になります)で、東に柵城に至り、南に小海(黄海?)に至り、北に旧夫余(おそらく平壌(ピョンヤン)? 音より)に至ります。人戸は前魏時の三倍です」と。