至孝文時貢獻倍前其報賜亦稍加焉
北魏孝文帝時(在位471~499)に至り、は前の二倍に貢献した。その報賜も亦(また)、稍加(少し加えられる)した。
時光州於海中得遣詣齊使餘奴等送闕
時に、光州(膠州と書けて青島の辺り? 光(コウ)=膠(コウ)?)が海中に於いて、が斉(南斉)に遣詣させた使者の余奴らを得て、闕に送った。
孝文詔責曰道成親殺其君竊號江左朕方欲興滅國於舊邦繼絕世于劉氏
孝文帝は詔(みことのり)して責めた、曰く、「道成(南斉の初代皇帝)は親(みずから)その君(南朝宋後廃帝)を殺し、竊(ひそかに)、江左を号した。朕は方(まさ)に旧邦(古くからある国)に於いて滅んだ国を興(おこ)し、劉氏(南朝宋も劉氏)において絶えた世を継続させることを欲する。
而卿越境外鄉交通篡賊豈是籓臣守節之義今不以一過掩舊款即送還籓
而して、卿は境を越えて外交(郷(キョウ)=交(コウ)?)し、篡賊(南斉)に交通した。どうして是が藩臣の守節の義であろうか。今は、一つの過ちを以て舊款(以前のまごころ)を掩(おおう)ずることはせず、即(すぐに)藩に送還させる。
其感恕思愆祗承明憲輯寧所部動靜以聞
その恕(おもいやり)を感じ、衍(広い心 愆=衍)を思い、祗(ただ)、明憲を承り、部所を輯寧(やわらげ安んじる)させ、動静は聞(申し上げる)くを以てせよ」と。
北魏孝文帝時(在位471~499)に至り、は前の二倍に貢献した。その報賜も亦(また)、稍加(少し加えられる)した。
時光州於海中得遣詣齊使餘奴等送闕
時に、光州(膠州と書けて青島の辺り? 光(コウ)=膠(コウ)?)が海中に於いて、が斉(南斉)に遣詣させた使者の余奴らを得て、闕に送った。
孝文詔責曰道成親殺其君竊號江左朕方欲興滅國於舊邦繼絕世于劉氏
孝文帝は詔(みことのり)して責めた、曰く、「道成(南斉の初代皇帝)は親(みずから)その君(南朝宋後廃帝)を殺し、竊(ひそかに)、江左を号した。朕は方(まさ)に旧邦(古くからある国)に於いて滅んだ国を興(おこ)し、劉氏(南朝宋も劉氏)において絶えた世を継続させることを欲する。
而卿越境外鄉交通篡賊豈是籓臣守節之義今不以一過掩舊款即送還籓
而して、卿は境を越えて外交(郷(キョウ)=交(コウ)?)し、篡賊(南斉)に交通した。どうして是が藩臣の守節の義であろうか。今は、一つの過ちを以て舊款(以前のまごころ)を掩(おおう)ずることはせず、即(すぐに)藩に送還させる。
其感恕思愆祗承明憲輯寧所部動靜以聞
その恕(おもいやり)を感じ、衍(広い心 愆=衍)を思い、祗(ただ)、明憲を承り、部所を輯寧(やわらげ安んじる)させ、動静は聞(申し上げる)くを以てせよ」と。