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Channel: 倭人伝を解く
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雲上書

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雲上書辭疾遣其從叔升于隨使詣闕嚴責之自此歲常貢獻

雲は上書して(世子の)疾(やまい)を辞して、その従叔(父の従弟)の升于を遣わし、使者に随して闕に詣でさせた。これを厳しく責め、此れより、歳(毎年)に常に貢献した。

正始中宣武於東堂引見其使芮悉弗進曰

正始中(504~508)、北魏宣武帝は東堂に於いて、その使者の芮悉弗に引見した。進んで曰く、

高麗系誠天極累葉純誠地產土毛無愆王貢

「高麗は誠(まこと)を天極(おそらくオリオン座? 史記天官書より)に系(つぐ)し、累葉(代々)、純誠で、地は土毛(土地の産物)を産し、王貢に愆(あやまり)は無し。

但黃金出夫餘珂則涉羅所產今夫餘爲勿吉所逐涉羅爲百濟所並

但(もっぱら)、黄金は夫余(ピョンヤン?音より ピョンヤンの北に金山が有ります)に出だし、珂(白瑪瑙? 灰重石?)は則ち、渉羅(車嶺山脈?(京畿道の南) 音より)の産する所。今、夫余は勿吉の逐する所と為り、渉羅は百済の併(あわせる 並(ヘイ)=併(ヘイ)?)する所と為りました。

國王臣雲惟繼絕之義悉遷於境內二品所以不登王府實兩賊之爲

国王臣雲は、惟(もっぱら)、絶(すぐれた)の義を継(つ)ぎ、境内に於いて遷(変化)を悉(もれなく知り尽くす)しております。二品(黄金と珂)が王府に登らない所以(理由)は、実に両賊(勿吉と百済)の為(ため)であります。」と。

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