及隋平陳後湯大懼陳兵積穀爲守拒之策
隋の陳の平定(589)の後に及んで、湯は大いに懼(おそ)れ、兵を陳して穀物を積み、守拒の策を為した。
開皇十七年上賜璽書責以每遣使人歲常朝貢雖稱籓附誠節未盡
開皇十七年(597)、上は璽書を賜った、「昔(むかし 責(セキ)=昔(セキ)?)、毎(いつも)使人を遣わすを以て、歳に常に朝貢した。藩附を称すると雖も、誠節は未だ尽きてはおらず、
驅逼靺鞨禁固契丹
靺鞨を駆逼(おいたてる)し、契丹を禁固(とじこめる)した。
隋の陳の平定(589)の後に及んで、湯は大いに懼(おそ)れ、兵を陳して穀物を積み、守拒の策を為した。
開皇十七年上賜璽書責以每遣使人歲常朝貢雖稱籓附誠節未盡
開皇十七年(597)、上は璽書を賜った、「昔(むかし 責(セキ)=昔(セキ)?)、毎(いつも)使人を遣わすを以て、歳に常に朝貢した。藩附を称すると雖も、誠節は未だ尽きてはおらず、
驅逼靺鞨禁固契丹
靺鞨を駆逼(おいたてる)し、契丹を禁固(とじこめる)した。