煬帝嗣位天下全盛高昌王突厥啟人可汗並親詣闕貢獻於是征元入朝
煬帝(隋第二代皇帝)が位を嗣(つぐ)し、天下は全盛で、高昌王、突厥啟人可汗が並びに親(みずから)闕に詣で貢献した。ここに於いて元に入朝を徴(もとめる 征(チョン)=徴(チョン)?)した。
元懼蕃禮頗闕
元は懼(おそ)れ、藩礼(蕃=藩?)が頗(すこぶ)る闕(欠ける)した。
大業七年帝將討元罪車駕度遼水
大業七年(611)、帝は将(まさ)に元の罪を討たんとして、車駕が遼水(漢江?)を渡り、
止營於遼東地分道出師各頓兵於其城下
止まって遼東地(仁川辺り?)に軍営し、道を分けて師(軍隊)を出だし、各はその城下に於いて兵を駐屯した。
煬帝(隋第二代皇帝)が位を嗣(つぐ)し、天下は全盛で、高昌王、突厥啟人可汗が並びに親(みずから)闕に詣で貢献した。ここに於いて元に入朝を徴(もとめる 征(チョン)=徴(チョン)?)した。
元懼蕃禮頗闕
元は懼(おそ)れ、藩礼(蕃=藩?)が頗(すこぶ)る闕(欠ける)した。
大業七年帝將討元罪車駕度遼水
大業七年(611)、帝は将(まさ)に元の罪を討たんとして、車駕が遼水(漢江?)を渡り、
止營於遼東地分道出師各頓兵於其城下
止まって遼東地(仁川辺り?)に軍営し、道を分けて師(軍隊)を出だし、各はその城下に於いて兵を駐屯した。