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史記 李将軍列伝 始め

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李將軍廣者隴西成紀人也

李将軍広という者は隴西の成紀の人である。

其先曰李信秦時為將逐得燕太子丹者也

その先祖は李信といい、秦の時に将軍に為り、燕太子姫丹を追いかけてつかまえた者である。

故槐裏徙成紀廣家世世受射

以前は槐里で、成紀に移った。李広の家は代々(だいだい)弓術を受け継いだ。

孝文帝十四年匈奴大入蕭關而廣以良家子從軍擊胡

漢孝文帝劉恒十四年、匈奴が大挙して蕭関に入り、しこうして、李広は良家の子を以って匈奴を撃(う)ちに従軍(じゅうぐん)した。

用善騎射殺首虜多為漢中郎

善(よ)く騎射を用いて、頭を撃たれた敵(てき)は多く、漢中郎と為った。

廣從弟李蔡亦為郎皆為武騎常侍秩八百石

李広の従弟(いとこ)の李蔡もまた郎に為り、皆(みな)武騎常侍と為って八百石を秩禄(ちつろく)とした。

嘗從行有所衝陷折關及格猛獸而文帝曰

嘗(かつ)て狩(か)りに従ったとき、突き当たる所の、しかけにつきおとして、猛獣をとらえるに及ぶことが有り、しこうして、漢孝文帝劉恒曰く、

惜乎子不遇時如令子當高帝時萬戶侯豈足道哉

「惜(お)しいことだ、なんじは時に遇(あ)わなかった。もしなんじをして高帝(劉邦)の時に当たらせれば、万戸侯となってもどうして語るに足(た)るだろうかな」と。

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