又詔曰高麗稱籓先朝供職日久於彼雖有自昔之釁于國未有犯令之愆
又、詔(みことのり)して曰く、「高麗は先朝に藩を称え、貢職(供(グ)=貢(グ)?)する日は久しく、彼(か)に於いて昔よりの釁(仲たがい)が有ると雖も、国においては未だ犯令の愆(あやまち)は有していない。
卿使命始通便求致伐尋討事會理亦未周
卿は命(運命)をして通好を始めようと、便(その機会に)に討伐を致すことを求め、事の怪(あやしみ 会(カイ)=怪(カイ)?)を尋討(聞きただす)したが、理は亦、未周(まだととのわなかった)である。
所獻錦布海物雖不悉達明卿至心今賜雜物如別
献じた所の錦布、海物は悉説(ことこまかに述べる 達(タツ)=説(タツ)?)しないと雖も、
卿の至心(まごころ)を明らかにする。今、雑物(いろいろなもの)を別の如く賜る」と。
又詔護送安等至高麗稱昔與余慶有讎不令東過
又、(高句麗長寿王)に邵安(北魏使者)らを護送させるよう詔(みことのり)をした。
邵安ら(北魏使者ら)が高句麗に至ると、(高句麗長寿王)は昔、余慶(百済蓋鹵王)と仇が有ると称え、過ちを了得(さとる 納得する 令(レイ)=了(リョウ)? 東(トウ)=得(トク)?)しなかった。
安等於是皆還乃下詔切責之五年使安等從東萊浮海賜余慶璽書褒其誠節
邵安らはここに於いて皆、還った。すなわち詔を下してこれ(を)を切責(きびしく責める)した。延興五年(475)、使者安らは東萊より海に浮かび、余慶(百済蓋鹵王)に璽書を賜り、その誠節を褒(ほめる)した。
安等至海濱遇風飄蕩竟不達而還
安らが海浜に至ると、風に遇(あう)して飄蕩(さすらう)し、竟(とうとう)達せずして還った。
又、詔(みことのり)して曰く、「高麗は先朝に藩を称え、貢職(供(グ)=貢(グ)?)する日は久しく、彼(か)に於いて昔よりの釁(仲たがい)が有ると雖も、国においては未だ犯令の愆(あやまち)は有していない。
卿使命始通便求致伐尋討事會理亦未周
卿は命(運命)をして通好を始めようと、便(その機会に)に討伐を致すことを求め、事の怪(あやしみ 会(カイ)=怪(カイ)?)を尋討(聞きただす)したが、理は亦、未周(まだととのわなかった)である。
所獻錦布海物雖不悉達明卿至心今賜雜物如別
献じた所の錦布、海物は悉説(ことこまかに述べる 達(タツ)=説(タツ)?)しないと雖も、
卿の至心(まごころ)を明らかにする。今、雑物(いろいろなもの)を別の如く賜る」と。
又詔護送安等至高麗稱昔與余慶有讎不令東過
又、(高句麗長寿王)に邵安(北魏使者)らを護送させるよう詔(みことのり)をした。
邵安ら(北魏使者ら)が高句麗に至ると、(高句麗長寿王)は昔、余慶(百済蓋鹵王)と仇が有ると称え、過ちを了得(さとる 納得する 令(レイ)=了(リョウ)? 東(トウ)=得(トク)?)しなかった。
安等於是皆還乃下詔切責之五年使安等從東萊浮海賜余慶璽書褒其誠節
邵安らはここに於いて皆、還った。すなわち詔を下してこれ(を)を切責(きびしく責める)した。延興五年(475)、使者安らは東萊より海に浮かび、余慶(百済蓋鹵王)に璽書を賜り、その誠節を褒(ほめる)した。
安等至海濱遇風飄蕩竟不達而還
安らが海浜に至ると、風に遇(あう)して飄蕩(さすらう)し、竟(とうとう)達せずして還った。