周建六年齊滅餘昌始遣使通周
周(北周)建徳六年(577)、斉が滅び、余昌は使者を遣わし周に通い始めた。
宣政元年又遣使爲獻
宣政元年(578)、又、使者を遣わして献を為した。
隋開皇初餘昌又遣使貢方物拜上開府帶方郡公百濟王
隋開皇(581年~600年)の初め、余昌は又、使者を遣わして方物を貢いだ。上開府、帯方郡公、百済王を拝した。
平陳之歲戰船漂至海東耽牟羅國
陳の平定(589)の歳、戦船が漂って海東(黄海の東側=朝鮮半島の西海岸?)の牟羅国(全羅南道の西辺り?)に至った。
其船得還經於百濟昌資送之甚厚並遣使奉表賀平陳
その船は還るを得て、百済を経た。昌はこれに資送すること甚だ厚くし、並びに使者を遣わして表を奉り平陳を賀した。
周(北周)建徳六年(577)、斉が滅び、余昌は使者を遣わし周に通い始めた。
宣政元年又遣使爲獻
宣政元年(578)、又、使者を遣わして献を為した。
隋開皇初餘昌又遣使貢方物拜上開府帶方郡公百濟王
隋開皇(581年~600年)の初め、余昌は又、使者を遣わして方物を貢いだ。上開府、帯方郡公、百済王を拝した。
平陳之歲戰船漂至海東耽牟羅國
陳の平定(589)の歳、戦船が漂って海東(黄海の東側=朝鮮半島の西海岸?)の牟羅国(全羅南道の西辺り?)に至った。
其船得還經於百濟昌資送之甚厚並遣使奉表賀平陳
その船は還るを得て、百済を経た。昌はこれに資送すること甚だ厚くし、並びに使者を遣わして表を奉り平陳を賀した。