明年六軍度遼餘璋亦嚴兵於境聲言助軍實持兩端
明くる年(612)、六軍は遼(京畿湾?)を渡り、余璋も亦、兵を境に於いて厳重にし、声(ことば)では、軍(六軍)を助けると言い、実は両端(ふたごころ)を持っていた。
尋與新羅有隙每相戰爭
尋(つね)に新羅と隙(なかたがい)が有って、毎(そのたびごと)に互いに戦争した。
十年復遣使朝貢後天下亂使命遂絕
十年(614)、復(また)、使者を遣わして朝貢した。後、天下は乱れ、使命(使いの役目)は遂に絶えた。
其南海行三月有耽牟羅國南北千餘里東西數百里土多麞鹿附庸於百濟
その南へ海行すること三日(みっか 月(にくづきのジク?)=日(ジツ)?)、耽牟羅国が有る(おそらく全羅南道の西辺り?)。南北は千余里(一里150m換算で約150劼△泙蝓法東西は数百里(一里150m換算で約30辧腺苅記辧法E效呂砲麞鹿(おそらくキバノロ?)が多く、百済(都は錦江のほとりの江景?)に附庸する。
西行三日至貊國千餘里云
陸行(陸を行く 西(シー→リー)=陸(リク)?)で三日、貊国(おそらくクワンジュ(光州)辺り? 貊(バク→ボー)=光(コウ→ホー)?)に至り、千余里(一里150m換算で約150厖召蝓砲髪召Α
今日で、北史 百済伝は終わりです。明日からは北史 新羅伝に入ります。
明くる年(612)、六軍は遼(京畿湾?)を渡り、余璋も亦、兵を境に於いて厳重にし、声(ことば)では、軍(六軍)を助けると言い、実は両端(ふたごころ)を持っていた。
尋與新羅有隙每相戰爭
尋(つね)に新羅と隙(なかたがい)が有って、毎(そのたびごと)に互いに戦争した。
十年復遣使朝貢後天下亂使命遂絕
十年(614)、復(また)、使者を遣わして朝貢した。後、天下は乱れ、使命(使いの役目)は遂に絶えた。
其南海行三月有耽牟羅國南北千餘里東西數百里土多麞鹿附庸於百濟
その南へ海行すること三日(みっか 月(にくづきのジク?)=日(ジツ)?)、耽牟羅国が有る(おそらく全羅南道の西辺り?)。南北は千余里(一里150m換算で約150劼△泙蝓法東西は数百里(一里150m換算で約30辧腺苅記辧法E效呂砲麞鹿(おそらくキバノロ?)が多く、百済(都は錦江のほとりの江景?)に附庸する。
西行三日至貊國千餘里云
陸行(陸を行く 西(シー→リー)=陸(リク)?)で三日、貊国(おそらくクワンジュ(光州)辺り? 貊(バク→ボー)=光(コウ→ホー)?)に至り、千余里(一里150m換算で約150厖召蝓砲髪召Α
今日で、北史 百済伝は終わりです。明日からは北史 新羅伝に入ります。