又辰韓王常用馬韓人作之世世相傳辰韓不得自立王明其流移之人故也恆爲馬韓所制
又、辰韓王は常に馬韓人を用いてこれを作り、世々(代々)相伝し、辰韓は自ら王を立てることはできない。その流移の人故(ゆえ)を明らかにするのであり、恒(つね)に馬韓の制する所と為った。
辰韓之始有六國稍分爲十二新羅則其一也
辰韓の始めは六国が有った。稍(次第に)分かれて十二に為り、新羅は則ちその一つである。
或稱魏將毋丘儉討高麗破之奔沃沮其後復歸故國有留者遂爲新羅亦曰斯盧
或いは称(とな)えるに、魏将毋丘儉が高麗を討ちこれを破ったとき、沃沮に奔(逃げる)し、その後、復(また)故国に帰ったが、留まる者が有って、遂に新羅、亦は曰く斯盧をつくったと。
又、辰韓王は常に馬韓人を用いてこれを作り、世々(代々)相伝し、辰韓は自ら王を立てることはできない。その流移の人故(ゆえ)を明らかにするのであり、恒(つね)に馬韓の制する所と為った。
辰韓之始有六國稍分爲十二新羅則其一也
辰韓の始めは六国が有った。稍(次第に)分かれて十二に為り、新羅は則ちその一つである。
或稱魏將毋丘儉討高麗破之奔沃沮其後復歸故國有留者遂爲新羅亦曰斯盧
或いは称(とな)えるに、魏将毋丘儉が高麗を討ちこれを破ったとき、沃沮に奔(逃げる)し、その後、復(また)故国に帰ったが、留まる者が有って、遂に新羅、亦は曰く斯盧をつくったと。