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Channel: 倭人伝を解く
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其人雜有華夏高麗百濟之屬

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其人雜有華夏高麗百濟之屬兼有沃沮不耐韓滅之地其王本百濟人自海逃入新羅遂王其國

その人は華夏、高麗、百済の属を雑(まじる)し、沃沮、不耐、韓、滅(濊?)の地を兼有する。その王は本(もと)は百済人で、海より新羅に逃げ入り、遂にその国で王になった。

初附庸於百濟百濟征高麗不堪戎役後相率歸之遂致強盛

初めは、百済に附庸していた。百済が高麗を征(攻める)したとき(高句麗故国原王 在位331~371 の頃?)、戎役(いくさ)に堪えられず、後に相(つぎつぎに)率いて(新羅に)帰り、遂に強盛に致(なしとげる)した。

因襲百濟附庸于迦羅國焉傳世三十至真平以隋開皇十四年遣使貢方物

因りて百済を終(しまいにする=附庸をやめる 襲(シュウ)=終(シュウ)?)し、迦羅国(おそらく釜山辺り?)に附庸した。三十代を伝えること、真平に至り、隋開皇十四年(594)を以て、使者を遣わし方物を貢いだ。

文帝拜真平上開府樂浪郡公新羅王

隋文帝(在位581~604)、は真平に上開府、楽浪郡公(洛東郡公?)、新羅王を拝した。

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