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梁書 大漢国、扶桑国伝 始め

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大漢國在文身國東五千餘里無兵戈不攻戰風俗並與文身國同而言語異

大漢国(大阪国と書けて、おそらく大阪? 漢(ハン)=阪(ハン)? )は、文身国(広島辺り?)の東に五千余里(一里150m換算で約750厖召蝓砲忘澆襦J蛇癖軸錙砲鰐気、攻戦はしない。風俗は並(みな)、文身国と同じであるが、言語が異なる。

扶桑國者齊永元元年其國有沙門慧深來至荊州

扶桑国(穀桑(穀(二種類あります)はコウゾの意 桑はクワ科の意)と書けてコウゾ? 扶(フー)=穀(クー)?)とは、斉永元元年(499)、その国に沙門慧深がいて、荊州に来至した。

說云扶桑在大漢國東二萬餘里地在中國之東其土多扶桑木故以爲名

説いて云う、「扶桑は、大漢国の東に二万余里(二百余里?(一里150m換算で約30厖召蝓法)淵丱鵝法疉粥淵咼礇)?)で、地は中国の東に在り、その土地には扶桑(コウゾ?)の木が多く、故(ゆえ)に名と為すを以てした」と。(おそらく扶桑国とは奈良? 奈良は和紙の産地だそうです)

扶桑葉似桐而初生如笋國人食之實如梨而赤績其皮爲布以爲衣亦以爲綿

扶桑(コウゾ?)の葉は桐の葉に似ていて、而して、初め生えたのは桑(くわ 笋(ソウ)=桑(ソウ)?)の葉の如くで、(コウゾには二種類の形の葉が有ります)、国人はこれを食する。実は禾(アワ 梨(リー→キ)=禾(カ)?)の如くにして赤い。その皮を績(つむぐ)して布をつくり、衣(ころも)をつくるを以てする。亦、綿(わた)をつくるを以てする。

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