Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

契丹舊怨其侵軼

$
0
0
契丹舊怨其侵軼其莫賀弗勿幹率其部落車三千乘衆萬餘口驅徙雜畜求內附止于白狼水東

契丹はその侵軼(侵し攻撃する)を恐怨(おそれうらむ 旧(キュウ)=恐(キョウ)?)し、その莫賀弗勿幹はその部落、車三千乗、衆万余人を率い、雑畜を駆徙(追い立てて移す)し内附を求め、白狼水の東に止まった。

自此歲常朝貢後告饑孝文聽其入關市糴

此の歳より常に朝貢した。後、饑(飢饉)を告げ、孝文帝はその入関して市糴を聴きいれた。

及宣武孝明時恆遣使貢方物熙平中契丹使人初真等三十人還靈太后以其俗嫁娶之際以青𧦬爲上服

宣武、孝明(499~528)の時、恒に使者を遣わして方物を貢いだ。熙平(516~518)の中頃、契丹の使人の初真ら三人が還るとき、霊太后はその俗の嫁娶の際を以て、青𧦬が上服と為すのを以て、

人給青𧦬兩匹賞其誠款之心餘依舊式朝貢及齊受東魏禪常不斷絕

人は青𧦬両匹(二匹)を給わり、その誠款(まこと)の心を賞(めでる)した。余りは旧式の朝貢に依った。斉(北斉 550~577)が東魏の禅譲を受けるに及ぶまで、常に断絶せず。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles