漢八年上從東垣還過趙
漢八年、上(うえ 漢高祖劉邦)は東垣より還(かえ)えり、趙に立ち寄った。
貫高等乃壁人柏人要之置廁
趙相貫高らはそこで柏人(県名)で人を避(さ)けて(壁=辟、避?)、要(かなめ)を厠(かわや)に置いた。
上過欲宿心動問曰縣名為何
上(うえ 漢高祖劉邦)は立ち寄って宿(やど)を欲したが、むなさわぎがして問うた、曰く、「県名は何というのか?」と。
曰柏人柏人者
曰く、「柏人です」と。「柏人とは、
迫於人也不宿而去
人に迫(せま)る、である」と。泊(と)まらずに去(さ)った。
漢九年貫高怨家知其謀乃上變告之
漢九年、趙相貫高のかたきの家がその謀(はかりごと)を知り、そこで変事を申し上げてこれを告(つ)げた。
於是上皆并逮捕趙王貫高等
ここに置いて上(うえ)は皆(みな)併(あわ)せて趙王張敖、趙相貫高らを逮捕(たいほ)しようとした。
十餘人皆爭自剄貫高獨怒罵曰
十余人は皆(みな)自(みずか)ら首を掻き斬ろうとうったえたが、趙相貫高ただ一人怒り罵(ののし)って曰く、
誰令公為之今王實無謀而并捕王
「誰(だれ)が令(れい)して公(こう)らにこれ(自剄)を為さしめたか?今、王は実(まこと)に謀(はかりごと)をせずして、王を併(あわ)せ捕(と)らえられた。
公等皆死誰白王不反者
公(こう)らが皆(みな)死んでしまったら、王が叛(そむ)いていないことを明白(めいはく)にするのは誰がするのか」と。
乃轞車膠致與王詣長安治張敖之罪
すなわち護送車は膠(にかわ)が極(きわ)められ、王とともに長安(漢の都)に到着した。趙王張敖の罪(つみ)を取り調べるに、
上乃詔趙群臣賓客有敢從王皆族
上(うえ)はそこで趙の群臣、賓客に敢(あ)えて王に従おうとするものが有れば、皆(みな)族刑にすると詔(みことのり)をしたが、
貫高與客孟舒等十餘人皆自髡鉗
趙相貫高は賓客の孟舒ら十余人とともに、皆(みな)みずから髪(かみ)を切り首かせをはめて、
為王家奴從來貫高至對獄曰
趙王家の奴隷と為って従(したが)いに来た。趙相貫高が至り、獄吏に応(こた)えて曰く、
獨吾屬為之王實不知
「単に吾(わ)が仲間がこれを為したのであって、王(趙王張敖)は実(まこと)に知らなかったのです」と。
吏治榜笞數千刺剟身無可擊者
獄吏はむちでたたくこと数千回、刺(さ)すことするどくして、身(み)に撃(う)つべきものが無くなるまでして取り調べたが、
終不復言呂后數言張王以魯元公主故不宜有此
とうとう言(げん)を覆(くつがえ)さなかった(復=覆?)。呂后(漢高祖劉邦の后)はたびたび
趙王張敖は魯元公主(漢高祖劉邦の長女 趙王張敖の后)の故(ゆえ)を以って、このようなことを有するはよいとしないと言(げん)をした。
上怒曰使張敖據天下豈少而女乎不聽
上(うえ)は怒って曰く、「張敖(趙王張敖)をして天下をおさえるにどうしてなんじの娘を省(かえり)みるだろうか(少=省?)」と、聞き入れなかった。
漢八年、上(うえ 漢高祖劉邦)は東垣より還(かえ)えり、趙に立ち寄った。
貫高等乃壁人柏人要之置廁
趙相貫高らはそこで柏人(県名)で人を避(さ)けて(壁=辟、避?)、要(かなめ)を厠(かわや)に置いた。
上過欲宿心動問曰縣名為何
上(うえ 漢高祖劉邦)は立ち寄って宿(やど)を欲したが、むなさわぎがして問うた、曰く、「県名は何というのか?」と。
曰柏人柏人者
曰く、「柏人です」と。「柏人とは、
迫於人也不宿而去
人に迫(せま)る、である」と。泊(と)まらずに去(さ)った。
漢九年貫高怨家知其謀乃上變告之
漢九年、趙相貫高のかたきの家がその謀(はかりごと)を知り、そこで変事を申し上げてこれを告(つ)げた。
於是上皆并逮捕趙王貫高等
ここに置いて上(うえ)は皆(みな)併(あわ)せて趙王張敖、趙相貫高らを逮捕(たいほ)しようとした。
十餘人皆爭自剄貫高獨怒罵曰
十余人は皆(みな)自(みずか)ら首を掻き斬ろうとうったえたが、趙相貫高ただ一人怒り罵(ののし)って曰く、
誰令公為之今王實無謀而并捕王
「誰(だれ)が令(れい)して公(こう)らにこれ(自剄)を為さしめたか?今、王は実(まこと)に謀(はかりごと)をせずして、王を併(あわ)せ捕(と)らえられた。
公等皆死誰白王不反者
公(こう)らが皆(みな)死んでしまったら、王が叛(そむ)いていないことを明白(めいはく)にするのは誰がするのか」と。
乃轞車膠致與王詣長安治張敖之罪
すなわち護送車は膠(にかわ)が極(きわ)められ、王とともに長安(漢の都)に到着した。趙王張敖の罪(つみ)を取り調べるに、
上乃詔趙群臣賓客有敢從王皆族
上(うえ)はそこで趙の群臣、賓客に敢(あ)えて王に従おうとするものが有れば、皆(みな)族刑にすると詔(みことのり)をしたが、
貫高與客孟舒等十餘人皆自髡鉗
趙相貫高は賓客の孟舒ら十余人とともに、皆(みな)みずから髪(かみ)を切り首かせをはめて、
為王家奴從來貫高至對獄曰
趙王家の奴隷と為って従(したが)いに来た。趙相貫高が至り、獄吏に応(こた)えて曰く、
獨吾屬為之王實不知
「単に吾(わ)が仲間がこれを為したのであって、王(趙王張敖)は実(まこと)に知らなかったのです」と。
吏治榜笞數千刺剟身無可擊者
獄吏はむちでたたくこと数千回、刺(さ)すことするどくして、身(み)に撃(う)つべきものが無くなるまでして取り調べたが、
終不復言呂后數言張王以魯元公主故不宜有此
とうとう言(げん)を覆(くつがえ)さなかった(復=覆?)。呂后(漢高祖劉邦の后)はたびたび
趙王張敖は魯元公主(漢高祖劉邦の長女 趙王張敖の后)の故(ゆえ)を以って、このようなことを有するはよいとしないと言(げん)をした。
上怒曰使張敖據天下豈少而女乎不聽
上(うえ)は怒って曰く、「張敖(趙王張敖)をして天下をおさえるにどうしてなんじの娘を省(かえり)みるだろうか(少=省?)」と、聞き入れなかった。