廷尉以貫高事辭聞上曰
漢廷尉が趙相貫高の事の言葉を以って申し上げた。上(うえ)曰く、
壯士誰知者以私問之
「壮士だ。誰か知る者がひそかにこれに問うを以ってせよ」と。
中大夫泄公曰臣之邑子素知之
漢中大夫泄公曰く、「わたしの邑(むら)の人で、素(もと)よりこれを知っています。
此固趙國立名義不侵為然諾者也
これまことに趙国では名分(めいぶん)が侵(おか)されずに、然諾(ぜんだく 承知する)を為す者を立てるのであります」と。
上使泄公持節問之箯輿前
上(うえ)は漢中大夫泄公をして符節を持たせて、竹で編んで作った輿(こし)の前でこれに問わせた。
仰視曰泄公邪泄公勞苦如生平驩
仰(あお)ぎ視(み)て曰く、「泄公か」と。漢中大夫泄公は苦しみをねぎらい平素(へいそ)の如(ごと)くうちとけた。
與語問張王果有計謀不
ともに語(かた)り、趙王張敖が果(は)たして計謀を有(ゆう)したのかいないのか問うた。
高曰人情寧不各愛其父母妻子乎
趙相貫高曰く、「人情(にんじょう)としてむしろその父母、妻子を愛するは格別(かくべつ)ではないでしょうか。
今吾三族皆以論死豈以王易吾親哉
今、吾(われ)の三族(父母、妻子、兄弟)が皆(みな)死罪を定められるを以ってすれば、
どうして王のためを以って吾(わ)が親族にとりかえたりするでしょうかな?
顧為王實不反獨吾等為之
王が実(まこと)に叛(そむ)いておらず、ただ吾(われ)らがこれを為したのだと為したことをかんがみられよ」と。
具道本指所以為者王不知狀
具(つぶさ)に原因、為すを以ってしたところとは王は感知していなかったと語(かた)った。
於是泄公入具以報上乃赦趙王
ここに於いて漢中大夫泄公は入り、具(つぶさ)に報告するを以ってした。上(うえ)はそこで趙王張敖を赦(ゆる)した。
上賢貫高為人能立然諾使泄公具告之
上(うえ)は趙相貫高の人と為りは然諾(ぜんだく)を立てることができて賢(かしこ)いとし、漢中大夫泄公をして具(つぶさ)にこれに告げさせた、
曰張王已出因赦貫高貫高喜曰
曰く、「張王(趙王張敖)はすでに出た」と。因(よ)りて趙相貫高を赦(ゆる)した。趙相貫高は喜んで曰く、
吾王審出乎泄公曰然
「吾(わ)が王は出ることが明らかになったのか?」と。漢中大夫泄公曰く、「然(しか)り」と。
泄公曰上多足下故赦足下
漢中大夫泄公曰く、「上(うえ)は足下(そっか)をほめ、故(ゆえ)に足下(そっか)を赦(ゆる)したのだ」と。
貫高曰所以不死一身無餘者
趙相貫高曰く、「一身に余(あま)すこと無く撃たれても死ななかった理由とは、
白張王不反也今王已出吾責已塞
張王(趙王張敖)が叛(そむ)いていないことを明白(めいはく)にするためでありました。今、王がすでに出て、吾(われ)の責任はすでに満(み)たされ、
死不恨矣且人臣有篡殺之名
死んでも恨(うら)みません。まさに人臣として篡殺(臣下が君主を殺すこと)のうわさが有れば、
何面目復事上哉縱上不殺我
何(なん)の面目(めんぼく)があって上(うえ)にふたたび仕(つか)えましょうかな。たとい上(うえ)が我(われ)を殺さなくとも、
我不愧於心乎乃仰絕骯
我(われ)は心に恥(は)じないでいられましょうか」と。すなわち仰(あお)いでのどを絶ちきり、
遂死當此之時名聞天下
遂(つい)に死んだ。この時に当たり、名は天下に聞こえた。
張敖已出以尚魯元公主故
趙王張敖はすでに出て、魯元公主(漢高祖劉邦の長女)を娶(めと)った故(ゆえ)を以って、
封為宣平侯於是上賢張王諸客以鉗奴從張王入關
封じて漢宣平侯と為した。ここに於いて上(うえ)は、首かせをした奴隷を以って張王(趙王張敖)に従って関に入った諸(もろもろ)の賓客を賢(かしこ)いとし、
無不為諸侯相郡守者
諸(もろもろ)の侯、大臣、郡守に為らない者は無かった。
及孝惠高后文帝
漢孝恵帝劉盈、漢高后呂雉、漢文帝劉恒
孝景時張王客子孫皆得為二千石
漢孝景帝劉啓時に及んで、張王(趙王張敖)の賓客の子孫(しそん)は皆(みな)二千石と為るを得た。
漢廷尉が趙相貫高の事の言葉を以って申し上げた。上(うえ)曰く、
壯士誰知者以私問之
「壮士だ。誰か知る者がひそかにこれに問うを以ってせよ」と。
中大夫泄公曰臣之邑子素知之
漢中大夫泄公曰く、「わたしの邑(むら)の人で、素(もと)よりこれを知っています。
此固趙國立名義不侵為然諾者也
これまことに趙国では名分(めいぶん)が侵(おか)されずに、然諾(ぜんだく 承知する)を為す者を立てるのであります」と。
上使泄公持節問之箯輿前
上(うえ)は漢中大夫泄公をして符節を持たせて、竹で編んで作った輿(こし)の前でこれに問わせた。
仰視曰泄公邪泄公勞苦如生平驩
仰(あお)ぎ視(み)て曰く、「泄公か」と。漢中大夫泄公は苦しみをねぎらい平素(へいそ)の如(ごと)くうちとけた。
與語問張王果有計謀不
ともに語(かた)り、趙王張敖が果(は)たして計謀を有(ゆう)したのかいないのか問うた。
高曰人情寧不各愛其父母妻子乎
趙相貫高曰く、「人情(にんじょう)としてむしろその父母、妻子を愛するは格別(かくべつ)ではないでしょうか。
今吾三族皆以論死豈以王易吾親哉
今、吾(われ)の三族(父母、妻子、兄弟)が皆(みな)死罪を定められるを以ってすれば、
どうして王のためを以って吾(わ)が親族にとりかえたりするでしょうかな?
顧為王實不反獨吾等為之
王が実(まこと)に叛(そむ)いておらず、ただ吾(われ)らがこれを為したのだと為したことをかんがみられよ」と。
具道本指所以為者王不知狀
具(つぶさ)に原因、為すを以ってしたところとは王は感知していなかったと語(かた)った。
於是泄公入具以報上乃赦趙王
ここに於いて漢中大夫泄公は入り、具(つぶさ)に報告するを以ってした。上(うえ)はそこで趙王張敖を赦(ゆる)した。
上賢貫高為人能立然諾使泄公具告之
上(うえ)は趙相貫高の人と為りは然諾(ぜんだく)を立てることができて賢(かしこ)いとし、漢中大夫泄公をして具(つぶさ)にこれに告げさせた、
曰張王已出因赦貫高貫高喜曰
曰く、「張王(趙王張敖)はすでに出た」と。因(よ)りて趙相貫高を赦(ゆる)した。趙相貫高は喜んで曰く、
吾王審出乎泄公曰然
「吾(わ)が王は出ることが明らかになったのか?」と。漢中大夫泄公曰く、「然(しか)り」と。
泄公曰上多足下故赦足下
漢中大夫泄公曰く、「上(うえ)は足下(そっか)をほめ、故(ゆえ)に足下(そっか)を赦(ゆる)したのだ」と。
貫高曰所以不死一身無餘者
趙相貫高曰く、「一身に余(あま)すこと無く撃たれても死ななかった理由とは、
白張王不反也今王已出吾責已塞
張王(趙王張敖)が叛(そむ)いていないことを明白(めいはく)にするためでありました。今、王がすでに出て、吾(われ)の責任はすでに満(み)たされ、
死不恨矣且人臣有篡殺之名
死んでも恨(うら)みません。まさに人臣として篡殺(臣下が君主を殺すこと)のうわさが有れば、
何面目復事上哉縱上不殺我
何(なん)の面目(めんぼく)があって上(うえ)にふたたび仕(つか)えましょうかな。たとい上(うえ)が我(われ)を殺さなくとも、
我不愧於心乎乃仰絕骯
我(われ)は心に恥(は)じないでいられましょうか」と。すなわち仰(あお)いでのどを絶ちきり、
遂死當此之時名聞天下
遂(つい)に死んだ。この時に当たり、名は天下に聞こえた。
張敖已出以尚魯元公主故
趙王張敖はすでに出て、魯元公主(漢高祖劉邦の長女)を娶(めと)った故(ゆえ)を以って、
封為宣平侯於是上賢張王諸客以鉗奴從張王入關
封じて漢宣平侯と為した。ここに於いて上(うえ)は、首かせをした奴隷を以って張王(趙王張敖)に従って関に入った諸(もろもろ)の賓客を賢(かしこ)いとし、
無不為諸侯相郡守者
諸(もろもろ)の侯、大臣、郡守に為らない者は無かった。
及孝惠高后文帝
漢孝恵帝劉盈、漢高后呂雉、漢文帝劉恒
孝景時張王客子孫皆得為二千石
漢孝景帝劉啓時に及んで、張王(趙王張敖)の賓客の子孫(しそん)は皆(みな)二千石と為るを得た。