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張敖高后六年薨

張敖高后六年薨

趙王張敖は、漢高后呂雉六年に亡くなった。

子偃為魯元王以母呂后女故

子の張偃は魯元王に為った。母の呂后(呂雉)の娘の故(ゆえ)を以って、

呂后封為魯元王元王弱兄弟少

呂后(呂雉)は封じて魯元王と為したのである。魯元王張偃は弱く、兄弟は少なく、

乃封張敖他姬子二人壽為樂昌侯

そこで、趙王張敖の他の姫の子二人に封じ、張寿は楽昌侯と為り、

侈為信都侯高后崩諸呂無道

張侈は信都侯と為った。漢高后呂雉が崩御すると、諸(もろもろ)の呂氏は無道(むどう)になり、

大臣誅之而廢魯元王及樂昌侯信諸侯

漢大臣がこれを誅(ちゅう)し、しこうして、魯元王張偃及び楽昌侯張寿、信諸侯張侈を廃(はい)した。

孝文帝即位復封故魯元王偃為南宮侯續張氏

漢孝文帝劉恒が即位すると、ふたたび前の魯元王張偃を封じて南宮侯と為し、張氏を存続させた。

太史公曰張耳陳餘世傳所稱賢者

太子公曰く、「張耳、陳余は、世が伝えるは賢人として称(たた)えるところの者で、

其賓客廝役莫非天下俊桀

その賓客、召使は、天下の俊桀(しゅんけつ)で非(あら)ざるはなく、

所居國無不取卿相者然張耳

居(きょ)するところの国で、卿相に取られなかった者は無い。然(しか)るに張耳、

陳餘始居約時相然信以死

陳余は以前つづまやかに暮らしていた時、相(あい)信(まこと)を燃(も)やすに死を以ってしたのに、

豈顧問哉及據國爭權卒相滅亡

国に拠(よ)りて権力を争い、とうとう相(あい)滅亡しあったことに及んだのを、(世間は)いったい顧(かえり)みて問(と)うだろうかな。

何鄉者相慕用之誠後相倍之戾也

どうしてさきには誠(まこと)を用(もち)いて相(あい)慕(した)いあったのに、後(のち)には、相(あい)道理にそむいて反しあったのか。

豈非以勢利交哉名譽雖高賓客雖盛

いったい権勢や利益のための交(まじ)わりを以ってしたことはなかったのだろうかな。名誉(めいよ)は高いと雖(いえど)も、賓客は盛んと雖(いえど)も、

所由殆與大伯延陵季子異矣

由(よ)るところは殆(ほとん)ど、(呉の)大伯(太伯)、 延陵の季子とは異(こと)なるのである」と。


今日で史記 張耳陳余列伝は終わりです。明日からは史記 魏豹彭越列伝に入ります。

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