單于素聞廣賢令曰得李廣必生致之
単于(匈奴王)は素(もと)より李広の賢(かしこ)さを聞いており、令して曰く、「李広をつかまえたら必ず生きたままこれを致(いた)せよ」と。
胡騎得廣廣時傷病置廣兩馬絡而盛臥廣
匈奴の騎兵が漢将李広をつかまえ、漢将李広はこの時傷(きず)を病み、二頭の馬の間(あいだ)に漢将李広を置き、絡(から)めて漢将李広を横たえて積んだ。
行十餘里廣詳死睨其旁有一胡兒騎善馬
行くこと十余里(一里150m換算で約1.5km余り)、漢将李広は死んだふりをして、その傍(かたわ)らに一人の匈奴の子供の騎兵の善(よ)い馬を睨(にら)んだ。
廣暫騰而上胡兒馬因推墮兒取其弓
漢将李広はしばらくして飛び上がって、匈奴の子供の馬に上(あ)がり、因(よ)りて子供を推(お)し堕(お)として、その弓(ゆみ)を取った。
鞭馬南馳數十里復得其餘軍因引而入塞
馬を鞭(むち)うち南に馳(は)せること数十里(一里150m換算で約3km~)、ふたたびその残った軍を得て、因(よ)りて引いて塞(とりで)に入った。
匈奴捕者騎數百追之廣行取胡兒弓
匈奴の捕(とら)える者の騎兵数百がこれを追いかけ、漢将李広は行きながら匈奴の子供の弓(ゆみ)を
取って、
射殺追騎以故得脫
追いかけてくる騎兵を射殺し、故(ゆえ)え以って脱出するを得たのである。
於是至漢漢下廣吏吏當廣所失亡多
ここに於いて漢に至ると、漢は漢将李広を役人に下(くだ)した。役人は漢将李広が失い亡くしたところは多く、
為虜所生得當斬贖為庶人
敵の生け捕られるところと為ったのに当(あ)たり、斬罪に当たるとし、罪を贖(あがな)って庶人と為った。
頃之家居數歲廣家與故潁陰侯孫屏野居藍田南山中射獵
しばらくして、隠居すること数年。李広の家は前の潁陰侯灌嬰の孫(まご)とともに田舎にしりぞいて、藍田南山の中で射猟して居(きょ)した。
嘗夜從一騎出從人田間飲
嘗(かつ)て夜に、人の狩猟の合間の酒宴により、一騎を従えて出た。
還至霸陵亭霸陵尉醉呵止廣
還(かえ)って霸陵亭に至った。霸陵尉は酔(よ)って、李広をしかって止(と)めた。
廣騎曰故李將軍尉曰
李広の騎士が曰く、「もとの李将軍であるぞ」と。覇陵尉曰く、
今將軍尚不得夜行何乃故也
「今、将軍ですら夜に行くことを得られないのに、どうしてすなわちもとの将軍が」と。
止廣宿亭下居無何匈奴入殺遼西太守
李広を止(とど)めて覇陵亭の下に宿泊させた。いくばくもたたないうちに、匈奴が入って遼西太守を殺し、
敗韓將軍後韓將軍徙右北平
韓将軍(漢衛尉材官将軍韓安国)を敗(やぶ)り、後、韓将軍(漢衛尉材官将軍韓安国)は右北平に移された。
於是天子乃召拜廣為右北平太守
ここに於いて、天子(漢孝武帝劉徹)はそこで李広を召し寄せ官をさずけて、右北平太守と為さしめた。
廣即請霸陵尉與俱至軍而斬之
右北平太守李広はそこで霸陵尉をともにすることを請(こ)い、軍に至るとこれを斬った。
単于(匈奴王)は素(もと)より李広の賢(かしこ)さを聞いており、令して曰く、「李広をつかまえたら必ず生きたままこれを致(いた)せよ」と。
胡騎得廣廣時傷病置廣兩馬絡而盛臥廣
匈奴の騎兵が漢将李広をつかまえ、漢将李広はこの時傷(きず)を病み、二頭の馬の間(あいだ)に漢将李広を置き、絡(から)めて漢将李広を横たえて積んだ。
行十餘里廣詳死睨其旁有一胡兒騎善馬
行くこと十余里(一里150m換算で約1.5km余り)、漢将李広は死んだふりをして、その傍(かたわ)らに一人の匈奴の子供の騎兵の善(よ)い馬を睨(にら)んだ。
廣暫騰而上胡兒馬因推墮兒取其弓
漢将李広はしばらくして飛び上がって、匈奴の子供の馬に上(あ)がり、因(よ)りて子供を推(お)し堕(お)として、その弓(ゆみ)を取った。
鞭馬南馳數十里復得其餘軍因引而入塞
馬を鞭(むち)うち南に馳(は)せること数十里(一里150m換算で約3km~)、ふたたびその残った軍を得て、因(よ)りて引いて塞(とりで)に入った。
匈奴捕者騎數百追之廣行取胡兒弓
匈奴の捕(とら)える者の騎兵数百がこれを追いかけ、漢将李広は行きながら匈奴の子供の弓(ゆみ)を
取って、
射殺追騎以故得脫
追いかけてくる騎兵を射殺し、故(ゆえ)え以って脱出するを得たのである。
於是至漢漢下廣吏吏當廣所失亡多
ここに於いて漢に至ると、漢は漢将李広を役人に下(くだ)した。役人は漢将李広が失い亡くしたところは多く、
為虜所生得當斬贖為庶人
敵の生け捕られるところと為ったのに当(あ)たり、斬罪に当たるとし、罪を贖(あがな)って庶人と為った。
頃之家居數歲廣家與故潁陰侯孫屏野居藍田南山中射獵
しばらくして、隠居すること数年。李広の家は前の潁陰侯灌嬰の孫(まご)とともに田舎にしりぞいて、藍田南山の中で射猟して居(きょ)した。
嘗夜從一騎出從人田間飲
嘗(かつ)て夜に、人の狩猟の合間の酒宴により、一騎を従えて出た。
還至霸陵亭霸陵尉醉呵止廣
還(かえ)って霸陵亭に至った。霸陵尉は酔(よ)って、李広をしかって止(と)めた。
廣騎曰故李將軍尉曰
李広の騎士が曰く、「もとの李将軍であるぞ」と。覇陵尉曰く、
今將軍尚不得夜行何乃故也
「今、将軍ですら夜に行くことを得られないのに、どうしてすなわちもとの将軍が」と。
止廣宿亭下居無何匈奴入殺遼西太守
李広を止(とど)めて覇陵亭の下に宿泊させた。いくばくもたたないうちに、匈奴が入って遼西太守を殺し、
敗韓將軍後韓將軍徙右北平
韓将軍(漢衛尉材官将軍韓安国)を敗(やぶ)り、後、韓将軍(漢衛尉材官将軍韓安国)は右北平に移された。
於是天子乃召拜廣為右北平太守
ここに於いて、天子(漢孝武帝劉徹)はそこで李広を召し寄せ官をさずけて、右北平太守と為さしめた。
廣即請霸陵尉與俱至軍而斬之
右北平太守李広はそこで霸陵尉をともにすることを請(こ)い、軍に至るとこれを斬った。