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Channel: 倭人伝を解く
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國土下濕

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國土下濕語與庫莫奚契丹豆莫婁國同頗有粟麥及穄夏則城居冬逐水草多略貂皮

国土は玄(くろい 下(シア)=玄(シュワン)?)く湿っている。言語は庫莫奚、契丹、豆莫婁国と同じである。頗る粟麦(形状と寒冷地の作物としてヒエ?)、及び穄(クロキビ)が有る。夏は則ち常居(とどまって住む 城(ジョウ)=常(ジョウ)?)し、冬は水(川)、草を逐(求めて移動する)する。多く、貂(キエリテン?)、皮(犭+眉(ビ)と書けて、タイリクイタチ(チョウセンイタチ)?)を猟(狩猟 略(リャク)=猟(リョウ)?)する。

丈夫索發用角弓其箭尤長女婦束發作叉手髻其國少竊盜盜一征三殺人者責馬三百匹

丈夫(一人前の男子)は髪を索(編む)す。角(つの)の弓を用い、その箭(やがら)は尤(はなはだ)長い。女婦は髪を束ねて叉手髻(もとどり名)を作る。その国は窃盗が少ない。一を盗むと三で償(つぐなう 征(チョン)=償(チャン)?)う。殺人者は馬三百匹を責(責任を負う)する。

男女悉衣白鹿皮襦袴有曲釀酒俗愛赤珠爲婦人飾穿掛於頸以多爲貴

男女は悉(みな)、白鹿(麋鹿と書けてトナカイ? 白(バイ)=麋(ビ)?)の毛皮の襦袴(上着とズボン)を衣(着る)する。嚼醸酒(かんでかもす酒? 曲(チュイ)=嚼(チュエ)?)が有る。俗は赤い珠を愛(め)で、婦人の飾りをつくる。穿(あなをあける)って頸(くび)に掛け、多いのを以て貴と為す。

女不得此乃至不嫁父母死男女衆哭三年屍則置於林樹之上

女がこれを得られないと、則ち、不嫁に至る。父母が死ぬと、男女は愁哭(悲しんで号泣する 衆(シュウ)=愁(シュウ)?)すること三年、屍は則ち、林の樹木の上に置く。

武定二年四月始遣使張烏豆伐等獻其方物迄武定末貢使相尋及齊受東魏禪亦歲時朝聘

武定二年(544)四月、使者の張烏豆伐らを遣わし、その方物を献じることを始めた。武定(543~550)の末頃迄、貢使が相尋(つぎつぎとひきつづく)した。斉(北斉)が東魏の禅譲を受けるに及んで(550)、亦、歳時に朝聘した。

其後分爲五部不相總一所謂南室韋北室韋缽室韋深末怛室韋大室韋並無君長人貧弱突厥以三吐屯總領之

その後、分かれて五つの部落を為したが、、総一(まとめて一つにする)を相(かたち)さず。
所謂(いわゆる)、南室韋、北室韋、缽室韋、深末怛室韋、大室韋で、並(みな)、君長はいない。人は貧弱で、突厥が、三人の吐屯(おそらく将軍?)を以てこれを総領(とりしまる)した。

南室韋在契丹北三千里土地卑濕至夏則移向北貸勃欠對二山多草木饒禽獸又多蚊蚋人皆巢居以避其患

南室韋は契丹の北に三千里(一里150m換算で約450辧法覆そらく白頭山の西辺り(吉林省)?)、土地は沛湿(湿地 卑(ベイ)=沛(ベイ)?)で、夏に至れば、北へ向かって移る。貸勃、欠対の二つの山は草木が多く、禽獣(鳥やけもの)が饒(多い)する。又、蚊(か)、蚋(ぶよ)が多く、人は皆、燋居(たいまつをつけて住む 巣(ソウ)=燋(セウ)?)し、その患いを避けるを以てする。

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