南室韋北行十一日至北室韋分爲九部落繞吐紇山而居
南室韋の北へ行くこと十一日、北室韋(おそらく吉林省イエンピエン朝鮮族自治州の辺り?)、分かれて九つの部落を為し、吐紇山に繞(とりまく)して居する。
其部落渠帥號乞引莫賀咄每部有莫何弗三人以貳之氣候最寒雪深沒馬
その部落の渠帥は号して乞引莫賀咄と。毎(おのおの)の部落には莫何弗が三人いてこれを貳(補佐する)するを以てする。気候は最も寒く、雪は深く、馬が沒(うまる)する。
冬則入山居土穴土畜多凍死饒麞鹿射獵爲務食肉衣皮鑿冰沒水中而網取魚鱉
冬になれば、山に入って土穴に居する。土地の家畜は凍死することが多い。麞鹿(キバノロ? 或いは麘鹿と書けてシベリアジャコウジカ?)が饒(多い)する。射猟が務めと為し、肉を食べ、毛皮を衣(着る)する。冰(こおり)を鑿(穴をあける)し、水(川)中に没して、魚鱉(おそらくチョウザメ? 高句麗伝、百済伝より)を網で取る。
地多積雪懼陷坑阱騎木而行亻答即止皆捕貂爲業冠以狐貂衣以魚皮
地は積雪が多く、坑阱(あな)に陷(落ちる)することを懼(おそ)れ、騎木(かんじき?)で行き、亻答(凌凍(厚氷)?)は即ち、止(や)める。皆、貂(おそらくキエリテン?)を捕らえて業と為し、冠は狐(キツネ)、貂(キエリテン?)を以てして、衣は魚の皮を以てする。
又北行千里至缽室韋依胡布山而住人衆多北室韋不知爲幾部落
又、北に一千里(一里150m換算で約150辧砲缽室韋に至る(おそらくイエンピエン朝鮮族自治州の北境辺り?)、胡布山に依りて住む。人衆は北室韋が多く、幾つの部落を為したかは知らない。
用樺皮蓋屋其餘同北室韋從缽室韋西南四日行至深末怛室韋因水爲號也
樺(しらかば)の皮を用いて屋(いえ)を蓋(おおう)し、その余(ほか)は北室韋と同じ。
缽室韋より西南に四日行きで、深末怛室韋に至る(おそらく吉林省敦化(トンホワ)市の南辺り?)、水(川)に因りて号と為したのである。
冬月穴居以避太陰之氣
冬月は穴居し、太陰の気(非常に寒い気)を避けるを以てする。
又西北數千里至大室韋徑路險阻言語不通尤多貂及青鼠。
又、西北へ数千里(一里150m換算で約300辧腺苅毅悪辧砲如大室韋に至る(おそらく吉林省吉林市辺り?)。径路は険阻で、言語は通じない。尤も貂(キエリテン?)及び青鼠(狌狌と書けて、オコジョ?山海経より)が多い。
北室韋時遣使貢獻餘無至者
北室韋は時に使者を遣わして貢献するが、余(ほか)は至る者はいない。
今日で、北史 室韋伝は終わりです。明日からは北史 豆莫婁伝に入ります。
南室韋の北へ行くこと十一日、北室韋(おそらく吉林省イエンピエン朝鮮族自治州の辺り?)、分かれて九つの部落を為し、吐紇山に繞(とりまく)して居する。
其部落渠帥號乞引莫賀咄每部有莫何弗三人以貳之氣候最寒雪深沒馬
その部落の渠帥は号して乞引莫賀咄と。毎(おのおの)の部落には莫何弗が三人いてこれを貳(補佐する)するを以てする。気候は最も寒く、雪は深く、馬が沒(うまる)する。
冬則入山居土穴土畜多凍死饒麞鹿射獵爲務食肉衣皮鑿冰沒水中而網取魚鱉
冬になれば、山に入って土穴に居する。土地の家畜は凍死することが多い。麞鹿(キバノロ? 或いは麘鹿と書けてシベリアジャコウジカ?)が饒(多い)する。射猟が務めと為し、肉を食べ、毛皮を衣(着る)する。冰(こおり)を鑿(穴をあける)し、水(川)中に没して、魚鱉(おそらくチョウザメ? 高句麗伝、百済伝より)を網で取る。
地多積雪懼陷坑阱騎木而行亻答即止皆捕貂爲業冠以狐貂衣以魚皮
地は積雪が多く、坑阱(あな)に陷(落ちる)することを懼(おそ)れ、騎木(かんじき?)で行き、亻答(凌凍(厚氷)?)は即ち、止(や)める。皆、貂(おそらくキエリテン?)を捕らえて業と為し、冠は狐(キツネ)、貂(キエリテン?)を以てして、衣は魚の皮を以てする。
又北行千里至缽室韋依胡布山而住人衆多北室韋不知爲幾部落
又、北に一千里(一里150m換算で約150辧砲缽室韋に至る(おそらくイエンピエン朝鮮族自治州の北境辺り?)、胡布山に依りて住む。人衆は北室韋が多く、幾つの部落を為したかは知らない。
用樺皮蓋屋其餘同北室韋從缽室韋西南四日行至深末怛室韋因水爲號也
樺(しらかば)の皮を用いて屋(いえ)を蓋(おおう)し、その余(ほか)は北室韋と同じ。
缽室韋より西南に四日行きで、深末怛室韋に至る(おそらく吉林省敦化(トンホワ)市の南辺り?)、水(川)に因りて号と為したのである。
冬月穴居以避太陰之氣
冬月は穴居し、太陰の気(非常に寒い気)を避けるを以てする。
又西北數千里至大室韋徑路險阻言語不通尤多貂及青鼠。
又、西北へ数千里(一里150m換算で約300辧腺苅毅悪辧砲如大室韋に至る(おそらく吉林省吉林市辺り?)。径路は険阻で、言語は通じない。尤も貂(キエリテン?)及び青鼠(狌狌と書けて、オコジョ?山海経より)が多い。
北室韋時遣使貢獻餘無至者
北室韋は時に使者を遣わして貢献するが、余(ほか)は至る者はいない。
今日で、北史 室韋伝は終わりです。明日からは北史 豆莫婁伝に入ります。