豆莫婁國在勿吉北千里舊北夫餘也
豆莫婁国は勿吉の北一千里(一里150m換算で約150辧法旧北夫余(東明(鄒牟、朱蒙)の祖国 広開土王碑より)である。
在室韋之東東至於海方二千餘里
室韋(蓋馬高原の辺り?)の東(咸鏡山脈の辺り?)に在り、東に海(日本海)に至る。方二千余里(一里150m換算で約300厖召蟷擁法(おそらく豆莫婁国は豆満江の源流地域の豊溪里(プンゲリ)辺り? 豆満は東明と音が似ています)
広開土王碑の立つ吉林省集安はおそらく後出の地豆幹国の旧領土だと思います。高句麗長寿王の時代に蠕蠕国と密かに地豆幹国を分けて取ることを謀ったと条文に有ります)
(以下は三国志魏書 夫余伝とほぼ同じ内容で、誤って書かれたものだと思いますので、訳は省略させて頂きます。)
其人土著,有居室倉庫。多山陵廣澤,於東夷之域,最爲平敞。地宜五穀,不生五果。其人長大,性強勇謹厚,不冠抄。其君長皆六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而帽大。其國大人,以金銀飾之。用刑嚴急,殺人者死,沒其家人爲奴婢。俗淫,尤惡妒者,殺之屍于國南山上,至腐,女家始得輸牛馬,乃與之。或言濊貊之地也。
今日で北史 豆莫婁国伝は終わりです。明日からは北史 地豆幹国伝に入ります。
豆莫婁国は勿吉の北一千里(一里150m換算で約150辧法旧北夫余(東明(鄒牟、朱蒙)の祖国 広開土王碑より)である。
在室韋之東東至於海方二千餘里
室韋(蓋馬高原の辺り?)の東(咸鏡山脈の辺り?)に在り、東に海(日本海)に至る。方二千余里(一里150m換算で約300厖召蟷擁法(おそらく豆莫婁国は豆満江の源流地域の豊溪里(プンゲリ)辺り? 豆満は東明と音が似ています)
広開土王碑の立つ吉林省集安はおそらく後出の地豆幹国の旧領土だと思います。高句麗長寿王の時代に蠕蠕国と密かに地豆幹国を分けて取ることを謀ったと条文に有ります)
(以下は三国志魏書 夫余伝とほぼ同じ内容で、誤って書かれたものだと思いますので、訳は省略させて頂きます。)
其人土著,有居室倉庫。多山陵廣澤,於東夷之域,最爲平敞。地宜五穀,不生五果。其人長大,性強勇謹厚,不冠抄。其君長皆六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而帽大。其國大人,以金銀飾之。用刑嚴急,殺人者死,沒其家人爲奴婢。俗淫,尤惡妒者,殺之屍于國南山上,至腐,女家始得輸牛馬,乃與之。或言濊貊之地也。
今日で北史 豆莫婁国伝は終わりです。明日からは北史 地豆幹国伝に入ります。