Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

北史 地豆幹国伝 始め

$
0
0
地豆幹國在室韋西千餘里多牛羊出名馬皮爲衣服無五穀唯食肉酪

地豆幹国は、室韋(おそらく北朝鮮蓋馬高原辺り?)の西に一千余里(一里150m換算で約150厖召蝓,そらく吉林省通化市(トンホワ)の辺り?)である。牛、羊(ひつじ)が多く、卑馬(背の低い馬 名(ベイ)=卑(ベイ)?)を出だす。皮で衣服をつくり、五穀は無く、唯(ただ)、肉、酪(乳製品)を食べる。

延興二年八月遣使朝貢至於太和六年貢使不絕

延興二年(472)八月、 使者を遣わして朝貢した。太和六年(482)に至るまで、貢使は絶えなかった。

十四年頻來犯塞孝文詔征西大將軍陽平王頤擊走之

十四年(490)、頻(たびたび)来て、塞(とりで)を犯した。北魏孝文帝(在位467~499)は、征西大將軍陽平王頤に詔(みことのり)してこれを撃走させた。

自後時朝京師迄武定末貢使不絕及齊受禪亦來朝貢

後より、時に京師(大連の金州?音と距離、方角より)に朝した。東魏武帝年間(543~550)の末頃迄、貢使は絶えなかった。北斉の禅譲を受ける(550)に及んで、亦、来て朝貢した。

次は北史 烏洛侯国伝に入ります。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles