昔高祖忍平城之恥呂后棄慢書之詬方之於今何者為甚
昔、高祖は平城の恥を忍び、呂后は慢書の詬(はずかしめ)を棄て、まさにこれ、今より、何が甚だしいと為すか?
天設山河秦築長城漢起塞垣所以別內外異殊俗也苟無䠞國內侮之患則可矣豈與蟲螘校寇計爭往來哉雖或破之豈可殄盡而方今本朝為之旰食乎
天は山河を設け、秦は長城を築き、漢は塞垣を起こし、内外を別けるを以てしたところは、俗を異殊にする。苟(かりにも)、国を䠞(ける)し、内侮の患いが無ければ可(よし)であり、どうして蟲螘と寇を校(ふせぎ)し、往来を計争するのか?或いはこれを破ると雖も、どうして殄尽(ことごとく滅ぼす)することができるだろうか。而して、方(まさ)に今、本朝はこの為に旰食するのか?
夫專勝者未必克挾疑者未必敗眾所謂危聖人不任朝議有嫌明主不行也
それ、勝ちに専(いちずになる)する者は必ずしも克たず、挾疑する者は必ずしも敗けず、衆が危ういを謂う所は、聖人は任じず、朝議に嫌が有れば、明主は行わないのである。
昔淮南王安諫伐越曰天子之兵有征無戰言其莫敢校也
昔、淮南王安は越を伐することを諫めて曰く、天子の兵は、征は有っても戦いは無しと。言は、その敢えて校(=功?)することはないということである。
如使越人蒙死以逆執事廝輿之卒有一不備而歸者雖得越王之首而猶為大漢羞之
如(もし)、越人をして蒙死(死ぬこともかまわず進む)させ、執事、廝輿(輿をかつぐ召使)の卒(兵士)を撃(うつ 逆(ゲキ)=撃(ゲキ)?)するを以て、一つでも不備にして帰る者が有れば、越王の首を得ると雖も、猶(なお)、大漢の羞じと為す、と。
昔、高祖は平城の恥を忍び、呂后は慢書の詬(はずかしめ)を棄て、まさにこれ、今より、何が甚だしいと為すか?
天設山河秦築長城漢起塞垣所以別內外異殊俗也苟無䠞國內侮之患則可矣豈與蟲螘校寇計爭往來哉雖或破之豈可殄盡而方今本朝為之旰食乎
天は山河を設け、秦は長城を築き、漢は塞垣を起こし、内外を別けるを以てしたところは、俗を異殊にする。苟(かりにも)、国を䠞(ける)し、内侮の患いが無ければ可(よし)であり、どうして蟲螘と寇を校(ふせぎ)し、往来を計争するのか?或いはこれを破ると雖も、どうして殄尽(ことごとく滅ぼす)することができるだろうか。而して、方(まさ)に今、本朝はこの為に旰食するのか?
夫專勝者未必克挾疑者未必敗眾所謂危聖人不任朝議有嫌明主不行也
それ、勝ちに専(いちずになる)する者は必ずしも克たず、挾疑する者は必ずしも敗けず、衆が危ういを謂う所は、聖人は任じず、朝議に嫌が有れば、明主は行わないのである。
昔淮南王安諫伐越曰天子之兵有征無戰言其莫敢校也
昔、淮南王安は越を伐することを諫めて曰く、天子の兵は、征は有っても戦いは無しと。言は、その敢えて校(=功?)することはないということである。
如使越人蒙死以逆執事廝輿之卒有一不備而歸者雖得越王之首而猶為大漢羞之
如(もし)、越人をして蒙死(死ぬこともかまわず進む)させ、執事、廝輿(輿をかつぐ召使)の卒(兵士)を撃(うつ 逆(ゲキ)=撃(ゲキ)?)するを以て、一つでも不備にして帰る者が有れば、越王の首を得ると雖も、猶(なお)、大漢の羞じと為す、と。