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後漢書 南匈奴列伝 始め

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南匈奴虾落尸逐鞮單于比者呼韓邪單于之孫烏珠留若鞮單于之子也

南匈奴虾落尸逐鞮單于比とは、呼韓邪單于の孫で、烏珠留若鞮單于の子である。

自呼韓邪後諸子以次立至比季父孝單于輿時以比為右薁鞬日逐王部領南邊及烏桓

呼韓邪の後より、諸子が次々に立つを以てし、比の季父の孝單于輿の時に至り、比を以て右薁鞬日逐王と為し、南辺及び鳥桓を部領した。

建武初彭寵反畔於漁陽單于與共連兵因復權立盧芳使入居五原

建武(25~56)の初め頃、彭寵が漁陽に於いて反畔(むほん)した。單于は共連兵とともに、復権して盧芳を立てることに因り、五原に入居させた。

光武初方平諸夏未遑外事至六年始令歸侯劉颯使匈奴匈奴亦遣使來獻漢復令中郎將韓統報命賂遺金幣以通舊好

光武帝は初め、方(まさ)に諸夏を平らげ、未だ外事に遑(いそがしい)せず。六年(30)に至り、帰徳侯劉颯に令して匈奴に使いさせることを始めた。匈奴も亦、使者を遣わして来献した。漢は復、中郎将韓統に令して命を報いさせ、金幣を賂遺(贈る)し、旧好を通わせるを以てした。

而單于驕踞自比冒頓對使者辭語悖慢帝待之如初

而して單于は驕踞(おごり)し、自ら冒頓に比し、使者に対する辞語は悖慢(あなどる)で、帝はこれに待(もてなす)するは初めの如くした。

初使命常通而匈奴數與盧芳共侵北邊

初め頃、使命は常通していたが、而して匈奴は数(たびたび)盧芳と共に北辺を侵した。

九年遣大司馬吳漢等擊之經歲無功而匈奴轉盛鈔暴日

九年(33)、大司馬呉漢らを遣わしてこれを撃った。歳を経ても功は無く、而して、匈奴は転盛して、鈔暴は日に日に増した。

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