初單于弟右谷蠡王伊屠知牙師以次當左賢王左賢王即是單于儲副
初(以前)、單于の弟の右谷蠡王伊屠知牙師は、次に左賢王に当たるを以てした。左賢王は即ち、是れ、單于の儲副(君位の継承者)である。
單于欲傳其子遂殺知牙師知牙師者王昭君之子也昭君字嬙,南郡人
單于はその子に伝することを欲し、遂に知牙師を殺した。知牙師とは、王昭君の子であり、昭君の字は嬙は、南郡人である。
初元帝時以良家子選入掖庭時呼韓邪來朝帝敕以宮女五人賜之
初(以前)、元帝時(在位前48~前33)、良家の子を以て掖庭(宮殿わきの皇妃や宮女がいる建物)に選入した。時に呼韓邪が来朝し、帝は勅(みことのり)して宮女五人を以てこれに賜った。
昭君入宮數歲不得見御積悲怨乃請掖庭令求行
昭君が宮に入って数年、見御を得られず、悲怨が積り、そこで、掖庭令に請うて行くことを求めた。
呼韓邪臨辭大會帝召五女以示之昭君豐容靚飾光明漢宮顧景裴回竦動左右
呼韓邪は辞に臨んで大会し、帝は五女を召してこれに示すを以てした。昭君は豊容、靚飾、漢宮に光明(光り輝く)し、景を顧みて徘徊し、左右に竦動(ゆれうごく)した。
帝見大驚意欲留之而難於失信遂與匈奴生二子
帝は見て、大いに驚き、意はこれを留めることを欲した。而して、信を失うことを難じ、遂に匈奴に与えた。二人の子を生んだ。
及呼韓邪死其前閼氏子代立欲妻之昭君上書求歸成帝敕令從胡俗遂復為後單于閼氏焉
呼韓邪が死ぬに及んで、その前閼氏の子が代わって立ち、これを妻することを欲した。昭君は上書して帰ることを求めた。成帝(在位前33~前7)は勅(みことのり)して胡の俗に従うよう令し、遂に復(また)、後單于閼氏と為ったのである。
初(以前)、單于の弟の右谷蠡王伊屠知牙師は、次に左賢王に当たるを以てした。左賢王は即ち、是れ、單于の儲副(君位の継承者)である。
單于欲傳其子遂殺知牙師知牙師者王昭君之子也昭君字嬙,南郡人
單于はその子に伝することを欲し、遂に知牙師を殺した。知牙師とは、王昭君の子であり、昭君の字は嬙は、南郡人である。
初元帝時以良家子選入掖庭時呼韓邪來朝帝敕以宮女五人賜之
初(以前)、元帝時(在位前48~前33)、良家の子を以て掖庭(宮殿わきの皇妃や宮女がいる建物)に選入した。時に呼韓邪が来朝し、帝は勅(みことのり)して宮女五人を以てこれに賜った。
昭君入宮數歲不得見御積悲怨乃請掖庭令求行
昭君が宮に入って数年、見御を得られず、悲怨が積り、そこで、掖庭令に請うて行くことを求めた。
呼韓邪臨辭大會帝召五女以示之昭君豐容靚飾光明漢宮顧景裴回竦動左右
呼韓邪は辞に臨んで大会し、帝は五女を召してこれに示すを以てした。昭君は豊容、靚飾、漢宮に光明(光り輝く)し、景を顧みて徘徊し、左右に竦動(ゆれうごく)した。
帝見大驚意欲留之而難於失信遂與匈奴生二子
帝は見て、大いに驚き、意はこれを留めることを欲した。而して、信を失うことを難じ、遂に匈奴に与えた。二人の子を生んだ。
及呼韓邪死其前閼氏子代立欲妻之昭君上書求歸成帝敕令從胡俗遂復為後單于閼氏焉
呼韓邪が死ぬに及んで、その前閼氏の子が代わって立ち、これを妻することを欲した。昭君は上書して帰ることを求めた。成帝(在位前33~前7)は勅(みことのり)して胡の俗に従うよう令し、遂に復(また)、後單于閼氏と為ったのである。