後二歲大將軍驃騎將軍大出擊匈奴廣數自請行
二年後、漢大将軍衛青、漢驃騎將軍霍去病が匈奴を撃ちに大挙して出て、漢郎中令李広はたびたび自ら行くことを請(こ)うた。
天子以為老弗許良久乃許之以為前將軍是歲元狩四年也
天子(漢孝武帝劉徹)は老いていると思い聞き入れなかった。しばらくしてすなわちこれを許し、前将軍と為すを以ってした。この年は元狩四年である。
廣既從大將軍青擊匈奴既出塞青捕虜知單于所居
漢郎中令前将軍李広がすでに漢大将軍衛青が匈奴を撃つのに従い、すでに塞(とりで)に出て、漢大将軍衛青は敵を捕(と)らえて、単于(匈奴王)の居(お)る所を知った。
乃自以精兵走之而令廣并於右將軍軍出東道
そこで自ら、精兵を以ってこれを走らせ、しこうして漢前将軍李広に令して漢右将軍の軍に併(あわ)せさせ、東道に出させた。
東道少回遠而大軍行水草少其勢不屯行
東道は少しまがりくねって遠く、しこうして大軍は水や草の少ない場所を行き、その形勢は屯(とん)せずに行く道だった。
廣自請曰臣部為前將軍今大將軍乃徙令臣出東道
漢前将軍李広は自ら請(こ)うて曰く、「わたしの部隊は前将軍として、今、大将軍はすなわち移してわたしに令して東道に出させましたが、
且臣結發而與匈奴戰今乃一得當單于臣願居前先死單于
まさにわたしは弓矢を交(まじ)えて匈奴と戦い、今すなわち一(いつ)に単于(匈奴王)に当たるを得て、わたしは願わくは前に居(い)て、先んじて単于(匈奴王)を殺したいと思います」と。
大將軍青亦陰受上誡以為李廣老數奇毋令當單于恐不得所欲
漢大将軍衛青もまたひそかに上の誡(いまし)めを受けており、漢前将軍李広は老いており、不運であると為すを以って、単于(匈奴王)に当たっても恐らく欲するところを得ないだろうと令さしめなかった。
而是時公孫敖新失侯為中將軍從大將軍
しこうしてこの時、公孫敖は新(あら)たに侯を失(うしな)い、漢中将軍と為って漢大将軍長平侯衛青に従い、
大將軍亦欲使敖與俱當單于故徙前將軍廣
漢大将軍長平侯衛青もまた漢中将軍公孫敖をしてともに単于(匈奴王)に当たろうと欲し、故(ゆえ)に
漢前将軍郎中令李広を移したのである。
廣時知之固自辭於大將軍大將軍不聽令長史封書與廣之莫府曰
漢前将軍郎中令李広は時にこれを知り、固(かた)く自ら漢大将軍長平侯衛青に辞(じ)した。漢大将軍長平侯衛青は聴き入れず、長史に令して書状を封して漢前将軍郎中令李広の幕府(ばくふ)に与えさせた、曰く、
急詣部如書廣不謝大將軍而起行意甚慍怒而就部
「急いで部隊に詣(もう)でよ、書状の如(ごと)く」と。漢前将軍郎中令李広は漢大将軍長平侯衛青に
謝(しゃ)さずして立ち上がって行き、意(い)は甚(はなは)だいきどおって怒り、しこうして部隊に就(つ)いた。
引兵與右將軍食其合軍出東道軍亡導或失道後大將軍
兵を引いて漢右将軍趙食其と軍を合わせ東道に出た。軍は道案内を亡(な)くし、道に惑(まど)い見失い、漢大将軍長平侯衛青に後(おく)れた。
大將軍與單于接戰單于遁走弗能得而還
漢大将軍長平侯衛青は単于(匈奴王)と接戦(せっせん)し、単于(匈奴王)は遁走(とんそう)し、
つかまえることができずして還(かえ)した。
南絕幕遇前將軍右將軍廣已見大將軍還入軍
南に進んで本陣を絶(た)ち、漢前将軍郎中令李広、漢右将軍趙食其に遇(あ)った。漢前将軍郎中令李広はすでに漢大将軍長平侯衛青に見(まみ)えると、軍に還(かえ)して入った。
大將軍使長史持糒醪遺廣因問廣食其失道狀青欲上書報天子軍曲折
漢大将軍長平侯衛青は長史をつかわして糒(ほしいい)、にごり酒を持たせて漢前将軍郎中令李広に贈(おく)らせた。因(よ)りて漢前将軍郎中令李広、漢右将軍趙食其が道を見失った状況を問(と)わせ、漢大将軍長平侯衛青は上書して天子(漢孝武帝劉徹)に軍の込み入って変化のある事情を報告しようと欲した。
廣未對大將軍使長史急責廣之幕府對簿廣曰
漢前将軍郎中令李広が未(ま)だ応(こた)えないうちに、漢大将軍長平侯衛青は長史をして漢前将軍郎中令李広の幕府が軍簿で応えるようにはげしく責(せ)めさせた。漢前将軍郎中令李広曰く、
諸校尉無罪乃我自失道吾今自上簿
「諸(もろもろ)の校尉は無罪です、すなわち我(われ)自らが道を見失ったのです。吾(われ)が今、自ら軍簿を申し上げます」と。
二年後、漢大将軍衛青、漢驃騎將軍霍去病が匈奴を撃ちに大挙して出て、漢郎中令李広はたびたび自ら行くことを請(こ)うた。
天子以為老弗許良久乃許之以為前將軍是歲元狩四年也
天子(漢孝武帝劉徹)は老いていると思い聞き入れなかった。しばらくしてすなわちこれを許し、前将軍と為すを以ってした。この年は元狩四年である。
廣既從大將軍青擊匈奴既出塞青捕虜知單于所居
漢郎中令前将軍李広がすでに漢大将軍衛青が匈奴を撃つのに従い、すでに塞(とりで)に出て、漢大将軍衛青は敵を捕(と)らえて、単于(匈奴王)の居(お)る所を知った。
乃自以精兵走之而令廣并於右將軍軍出東道
そこで自ら、精兵を以ってこれを走らせ、しこうして漢前将軍李広に令して漢右将軍の軍に併(あわ)せさせ、東道に出させた。
東道少回遠而大軍行水草少其勢不屯行
東道は少しまがりくねって遠く、しこうして大軍は水や草の少ない場所を行き、その形勢は屯(とん)せずに行く道だった。
廣自請曰臣部為前將軍今大將軍乃徙令臣出東道
漢前将軍李広は自ら請(こ)うて曰く、「わたしの部隊は前将軍として、今、大将軍はすなわち移してわたしに令して東道に出させましたが、
且臣結發而與匈奴戰今乃一得當單于臣願居前先死單于
まさにわたしは弓矢を交(まじ)えて匈奴と戦い、今すなわち一(いつ)に単于(匈奴王)に当たるを得て、わたしは願わくは前に居(い)て、先んじて単于(匈奴王)を殺したいと思います」と。
大將軍青亦陰受上誡以為李廣老數奇毋令當單于恐不得所欲
漢大将軍衛青もまたひそかに上の誡(いまし)めを受けており、漢前将軍李広は老いており、不運であると為すを以って、単于(匈奴王)に当たっても恐らく欲するところを得ないだろうと令さしめなかった。
而是時公孫敖新失侯為中將軍從大將軍
しこうしてこの時、公孫敖は新(あら)たに侯を失(うしな)い、漢中将軍と為って漢大将軍長平侯衛青に従い、
大將軍亦欲使敖與俱當單于故徙前將軍廣
漢大将軍長平侯衛青もまた漢中将軍公孫敖をしてともに単于(匈奴王)に当たろうと欲し、故(ゆえ)に
漢前将軍郎中令李広を移したのである。
廣時知之固自辭於大將軍大將軍不聽令長史封書與廣之莫府曰
漢前将軍郎中令李広は時にこれを知り、固(かた)く自ら漢大将軍長平侯衛青に辞(じ)した。漢大将軍長平侯衛青は聴き入れず、長史に令して書状を封して漢前将軍郎中令李広の幕府(ばくふ)に与えさせた、曰く、
急詣部如書廣不謝大將軍而起行意甚慍怒而就部
「急いで部隊に詣(もう)でよ、書状の如(ごと)く」と。漢前将軍郎中令李広は漢大将軍長平侯衛青に
謝(しゃ)さずして立ち上がって行き、意(い)は甚(はなは)だいきどおって怒り、しこうして部隊に就(つ)いた。
引兵與右將軍食其合軍出東道軍亡導或失道後大將軍
兵を引いて漢右将軍趙食其と軍を合わせ東道に出た。軍は道案内を亡(な)くし、道に惑(まど)い見失い、漢大将軍長平侯衛青に後(おく)れた。
大將軍與單于接戰單于遁走弗能得而還
漢大将軍長平侯衛青は単于(匈奴王)と接戦(せっせん)し、単于(匈奴王)は遁走(とんそう)し、
つかまえることができずして還(かえ)した。
南絕幕遇前將軍右將軍廣已見大將軍還入軍
南に進んで本陣を絶(た)ち、漢前将軍郎中令李広、漢右将軍趙食其に遇(あ)った。漢前将軍郎中令李広はすでに漢大将軍長平侯衛青に見(まみ)えると、軍に還(かえ)して入った。
大將軍使長史持糒醪遺廣因問廣食其失道狀青欲上書報天子軍曲折
漢大将軍長平侯衛青は長史をつかわして糒(ほしいい)、にごり酒を持たせて漢前将軍郎中令李広に贈(おく)らせた。因(よ)りて漢前将軍郎中令李広、漢右将軍趙食其が道を見失った状況を問(と)わせ、漢大将軍長平侯衛青は上書して天子(漢孝武帝劉徹)に軍の込み入って変化のある事情を報告しようと欲した。
廣未對大將軍使長史急責廣之幕府對簿廣曰
漢前将軍郎中令李広が未(ま)だ応(こた)えないうちに、漢大将軍長平侯衛青は長史をして漢前将軍郎中令李広の幕府が軍簿で応えるようにはげしく責(せ)めさせた。漢前将軍郎中令李広曰く、
諸校尉無罪乃我自失道吾今自上簿
「諸(もろもろ)の校尉は無罪です、すなわち我(われ)自らが道を見失ったのです。吾(われ)が今、自ら軍簿を申し上げます」と。